飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

これも観光地や百貨店の屋上遊園で見かけませんでしたか?
そうです、記念メダルに自分の名前なんぞを刻印する自販機です。
確かぼくの不鮮明な記憶によると、アルファベットで名前を刻印したような?
でも後ろで待っている子が気になって、打刻するのも大慌てだったものです。
そして家に帰ってメダルの刻印をよく見ると!

何と!「MIMORU OKADA」になっているじゃないですかぁ!
そんな悔しかったことを今でも覚えています。

それはそうと、40年近く前のこと、サンフランシスコを訪れた時、こんなプレスマシンを目にして、ぼくもポケットから1¢(1Penny)の銅貨を取り出し、ペニープレスに投入したものでした。

でも、あれほど大切だったはずの記念メダルや、ペニープレスした硬貨は、一体全体どこへ消え果たのやら?
長く生かさせていただくほど、そんな事ばかりになっちゃうんでしょうねぇ。
やれやれ・・・。
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ありましたね〜。
なんとなく端っこの方に設置してあって 決して華やかな色合いでもなかったので 毎回 『 何これ? 』って感じで見てたのを覚えています。
観光地先で記念だから…と両親に勧められて1度だけトライ!
ガタンガタン!と大きな音がしたような記憶が…。
それに決して安いメダルでもなかったはず。
キーホルダータイプなら もう少し長く手元にあったでしょうね〜。
誰しもが通った、昭和の光景の一つですものねぇ。
確かに打刻する時には、結構大げさな音がしましたねぇ。
これやったことあるよ。
ただ、
みんなもやるから一度だけかな。
やったのは修学旅行でだよね。
京都から小学校高学年の時に今の所へ転校してきてさ、
直ぐに修学旅行となったわけ。
喜んでいると行先は京都・奈良。
仕方ないねぇ。
”大阪と掛けて 校長と解く 隣に教頭(京都)がいます”
ってガイドさんが得意気に話してたっけ。
てなわけで、
メダルは道中の京都タワー内で経験しました。
いつしか紛失しましたが、
覚えたてのローマ字で緊張して作ってた思い出が。
いくつか記念コインもありますが、
売って換金するのもねぇ。
どーせビールに化けると思うとねぇ・・・・FUKUZATSU ( 一一)
やっぱりどなたにも、そんな想い出ってありましたよねぇ。
修学旅行の京都タワーじゃあ、メダルマシンにも同級生たちが鈴なりだったんでしょうなぁ!