昭和がらくた文庫48話(2014.11.27新聞掲載)~「霜焼けあかぎれモミジの手」

「今度のお休み、パパの新車で、モミジ狩りに行くんだって」。

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昭和の半ば、ぼくの周りで両親を「パパ、ママ」と、何の衒いも無く呼ぶのは、白い洋館のお嬢様ただ一人。

だがどう贔屓目に見てもその容姿からは、そんな良家の子女に見えず、皆こっそり笑い(ぐさ)にした。

とは言え「パパ、ママ」と呼ぶ、洒落た言葉の響きは、憧れでもあった。

一度でいいから、父ちゃん母ちゃんじゃなく、「パパ、ママ」と呼んで見たい。

そしたらいったい、どんな顔をするだろう?

日毎分不相応な想いが、頭を駆け巡った。

紅葉シーズンも酣となると、いよいよあかぎれや霜焼けとの戦いが始まる。

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とは言え昭和の半ば。

手頃なハンドクリームやリップも無く、ズック靴の中の靴下は、それこそ穴だらけ。

それでも木枯らしに負けてなるものかと、半ズボンで駆けずり回った。

今日こそは、憧れの台詞を口にするんだ!

そう心に決め、夕日を背負うように我が家へと急いだ。

「ねぇ、…あの…」。

「何やのこの子は!この糞忙しい時に、ボソボソ言っとらんと、さっさとハッキリ言わんかーっ!」。

たったの一言で、気勢は削がれた。

「あの…マ…マ…」。

「何がマンマや!そんな幼児言葉で強請(ねだ)っても、晩御飯はまだ先や!えっ、何て?」。

「ぼくも…モミジ狩りに行って見たい…」。

消え入りそうな声で、やっと胸の内を吐き出した。

「モミジ狩りってか。でもなあ、お父ちゃん、この所残業続きで休みも無いでなあ」。

かじかんだ掌に息を吹きかけ温めていると、母が急にぼくの腕首を掴んだ。

「あったわ、ここに!可愛らしい、霜焼けあかぎれモミジの手!」と、ぼくの掌を開いた。

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そんな言葉一つで、ぼくの願いは空しく煙に巻かれる。

だがその時の母の掌は、ぼくなんかよりもずっと真っ赤にあかぎれ、血も滲みカサカサだった。

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冬が間近の紅葉の頃になると、あの日の母の手が思い出され、ついこの胸が熱くなる。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫48話(2014.11.27新聞掲載)~「霜焼けあかぎれモミジの手」」への10件のフィードバック

  1. 紅葉狩りなんて
    大人になるまで聞いた事がなく知らなかった。
    早い話、紅葉を観ると言う事でしょう。
    日本語って難しいし、オシャレだと思うねぇ!
    あたしの髪の毛も、多分?誰かに?
    前頭部の髪の毛刈りを知らぬ間に刈られたんだぁ!

    1. あっ!そうだったんだぁ。
      夜な夜な落ち武者殿の前頭部の髪の毛を、魑魅魍魎が跋扈して、髪の毛狩りの風流を極めたのかも知れませんねぇ。

  2. しもやけは出来たこと無いですが、手の指はカッサカサ。だから、ビニール袋の口を開くのに毎回悪戦苦闘。指にツバを付けるのは絶対ブッブゥ〜。

    1. 子どもの頃なんて、足の指先はしもやけだらけでしたぁ。
      だっていつだって、穴の開いたズック靴に穴の開いた靴下でしたからねぇ。

  3. しもやけには 私も毎年 泣かされてました ∘˚˳°(╯︵╰,)
    足の小指がポンポコぽんに膨れ 痒いし痛いし お風呂上がりにキンカンを塗ったりしていました (。•́︿•̀。)

    体質遺伝なのか??
    息子はサッカーを始める前の 10歳頃迄は毎年足の小指にしもやけ 小さな怪獣君7歳も 毎年 小指からかかとにしもやけ   お正月に帰って来た時は赤く腫れたぷくぷくの足に『かゆいの 痛いの飛んでけ〜』と言いながら オロナインを塗ってあげています ( ◜‿◝ )

    母は あかぎれで痛々しい手に 薬を塗ったり 保護するボンドみたいなのを 1日に何度も何度も塗ってました! 

    冷たい水で お店の中や外 階段 隅々迄雑巾がけをしていたからでしょうね(◍•ᴗ•◍)✧*。 

    1. 確かに遺伝ってぇのもあるかも知れませんねぇ。
      家のお母ちゃんも赤切れがひどくって、毎晩大きな瓶入りのワセリンを塗っていたことを思い出しました。

  4. 今まで しもやけになった事は一度もないですね。クリームを塗っても かさつきは無くならないけど(笑)
    ちゃぶ台には いつもオロナイン軟膏が置いてありました。
    懐かしい〜( ◠‿◠ )

    1. 確かにわが家にもオロナインが常備されていましたねぇ。
      それが今はバンテリンになっちゃいましたぁ(痛)

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