「今度のお休み、パパの新車で、モミジ狩りに行くんだって」。

昭和の半ば、ぼくの周りで両親を「パパ、ママ」と、何の衒いも無く呼ぶのは、白い洋館のお嬢様ただ一人。
だがどう贔屓目に見てもその容姿からは、そんな良家の子女に見えず、皆こっそり笑い種にした。
とは言え「パパ、ママ」と呼ぶ、洒落た言葉の響きは、憧れでもあった。
一度でいいから、父ちゃん母ちゃんじゃなく、「パパ、ママ」と呼んで見たい。
そしたらいったい、どんな顔をするだろう?
日毎分不相応な想いが、頭を駆け巡った。
紅葉シーズンも酣となると、いよいよあかぎれや霜焼けとの戦いが始まる。

とは言え昭和の半ば。
手頃なハンドクリームやリップも無く、ズック靴の中の靴下は、それこそ穴だらけ。
それでも木枯らしに負けてなるものかと、半ズボンで駆けずり回った。
今日こそは、憧れの台詞を口にするんだ!
そう心に決め、夕日を背負うように我が家へと急いだ。
「ねぇ、…あの…」。
「何やのこの子は!この糞忙しい時に、ボソボソ言っとらんと、さっさとハッキリ言わんかーっ!」。
たったの一言で、気勢は削がれた。
「あの…マ…マ…」。
「何がマンマや!そんな幼児言葉で強請っても、晩御飯はまだ先や!えっ、何て?」。
「ぼくも…モミジ狩りに行って見たい…」。
消え入りそうな声で、やっと胸の内を吐き出した。
「モミジ狩りってか。でもなあ、お父ちゃん、この所残業続きで休みも無いでなあ」。
かじかんだ掌に息を吹きかけ温めていると、母が急にぼくの腕首を掴んだ。
「あったわ、ここに!可愛らしい、霜焼けあかぎれモミジの手!」と、ぼくの掌を開いた。

そんな言葉一つで、ぼくの願いは空しく煙に巻かれる。
だがその時の母の掌は、ぼくなんかよりもずっと真っ赤にあかぎれ、血も滲みカサカサだった。

冬が間近の紅葉の頃になると、あの日の母の手が思い出され、ついこの胸が熱くなる。
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紅葉狩りなんて
大人になるまで聞いた事がなく知らなかった。
早い話、紅葉を観ると言う事でしょう。
日本語って難しいし、オシャレだと思うねぇ!
あたしの髪の毛も、多分?誰かに?
前頭部の髪の毛刈りを知らぬ間に刈られたんだぁ!
あっ!そうだったんだぁ。
夜な夜な落ち武者殿の前頭部の髪の毛を、魑魅魍魎が跋扈して、髪の毛狩りの風流を極めたのかも知れませんねぇ。
しもやけは出来たこと無いですが、手の指はカッサカサ。だから、ビニール袋の口を開くのに毎回悪戦苦闘。指にツバを付けるのは絶対ブッブゥ〜。
子どもの頃なんて、足の指先はしもやけだらけでしたぁ。
だっていつだって、穴の開いたズック靴に穴の開いた靴下でしたからねぇ。
しもやけには 私も毎年 泣かされてました ∘˚˳°(╯︵╰,)
足の小指がポンポコぽんに膨れ 痒いし痛いし お風呂上がりにキンカンを塗ったりしていました (。•́︿•̀。)
体質遺伝なのか??
息子はサッカーを始める前の 10歳頃迄は毎年足の小指にしもやけ 小さな怪獣君7歳も 毎年 小指からかかとにしもやけ お正月に帰って来た時は赤く腫れたぷくぷくの足に『かゆいの 痛いの飛んでけ〜』と言いながら オロナインを塗ってあげています ( ◜‿◝ )
母は あかぎれで痛々しい手に 薬を塗ったり 保護するボンドみたいなのを 1日に何度も何度も塗ってました!
冷たい水で お店の中や外 階段 隅々迄雑巾がけをしていたからでしょうね(◍•ᴗ•◍)✧*。
確かに遺伝ってぇのもあるかも知れませんねぇ。
家のお母ちゃんも赤切れがひどくって、毎晩大きな瓶入りのワセリンを塗っていたことを思い出しました。
今まで しもやけになった事は一度もないですね。クリームを塗っても かさつきは無くならないけど(笑)
ちゃぶ台には いつもオロナイン軟膏が置いてありました。
懐かしい〜( ◠‿◠ )
確かにわが家にもオロナインが常備されていましたねぇ。
それが今はバンテリンになっちゃいましたぁ(痛)
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