「昭和Nostalgia」(502)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


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旅シーズンだった夏休みも、残すところ後わずかとなってしまいました。

子どもの頃も、高齢者のお仲間入りをさせていただいた今となっても、旅と言えば列車の中で味わう駅弁だぁ~っと、未だにそう思い込んでいる節があります。

そんな駅弁にゃあ、子どもの頃からこんな3点セットが必ず付いていたものでした。

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何は無くとも無くちゃならない、駅弁を思いっきり頬張るための「割り箸」。

そしてその前に手を拭いたり口の汚れを拭ったりする「ポイ捨てお手拭き」。

さらに食後のシーハーシーハーに欠かせぬ「爪楊枝」と。

中でも「ポイ捨てお手拭き」は、消毒液に浸され四つ折りにされた小さなもので、大人が手を拭くにゃあ小さ過ぎて、ほんの気休めのようなものでした。

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でもお母ちゃんは、そんな駅弁のお手拭きをその場で使わず、旅先から大切に持ち帰っていましたねぇ。

だから何でも入っている、ドラエモンのポケットさながらの、お母ちゃんのバッグには、飴玉やティッシュペーパー、喫茶店から持ち帰ったコーヒーのお供のピーナッッの小袋やらマドレーヌ、更にはモーニングサービスに付いていたゆで卵と、紙ナプキンに包んで持ち帰った塩と一緒に、いざと言う時のためにと「ポイ捨てお手拭き」も忍ばせていたものでした。

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それらが大活躍した時がありました。

ぼくが26歳となった年、お父ちゃんが前頭葉大動脈破裂で、緊急の大手術を受けた時でした。

「手術中」の赤いランプが点灯する、手術室前の待合で、あまりにも長時間の手術時間となり、不謹慎にもぼくのお腹が「グゥ~ッ」と悲鳴を上げてしまったのです。

すると沈痛な面持ちのお母ちゃんが、ドラエモンのポケットのようなバッグをまさぐり、煎餅やらビスケットを探り出しぼくに差し出してくれたものでした。

そして食べ終えるとお母ちゃんは、何も言わずに「ポイ捨てお手拭き」を取り出し、口を拭うようにとジェスチャーで指示したまではよかったものの、いつ手に入れた「ポイ捨てお手拭き」だったのやら?

消毒液もすっかり蒸発してしまっており、カサカサだった事を思い出しちゃいました。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(502)」への2件のフィードバック

  1. 今のコンビニでもらうお手拭きとは違って、紙の袋に入ってましたね。

    1. そうですそうです!
      内側が銀紙のようなモノで加工されていたような?

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