「昭和Nostalgia」(472)

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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト


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これは幼稚園に上がる前の、4歳くらいのぼくと、同じアパート住まいだった、二階の佐藤のオジちゃんです。褌の代わりは、お父ちゃんの浴衣用?の帯だったような?

何てったって昭和半ば生まれですから、泣く子も黙る、押しも押されもせぬ「巨人大鵬玉子焼き」世代!

写真は参考

広っぱでの遊びと言えば、草野球に子ども相撲。

晩御飯のご馳走と言えば、誰が何と言おうと「卵焼き」!

そんな子ども時代を謳歌していたものです。

子供会とかの活動も活発で、夏休みだったかに「子ども相撲大会」とかってぇのがあったものです。

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公園の地面に子供会の役員さんが、土俵に見立てた円を描き、半ズボンにランニングシャツ姿の子どもたちの、取り組みが行われたものです。

ぼくなんていっつも、これでもかってぇほど籤運が悪いと言うか、とんでもなく体格のいい対戦相手との取り組みとなってしまい、あれよあれよと言う間に土俵から押し出されたり、投げ飛ばされたりともう散々!

確か優勝者には、新聞社名の入った大学ノートと、鉛筆セットだとかが授与されていた気がします。

写真は参考

それでもみんな優勝賞品欲しさで、必死になって自分よりも遥かに体格のいい、お兄さんたちに玉砕覚悟で、立ち向かって行ったものでした。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(472)」への6件のフィードバック

  1. 子ども相撲大会ありましたね─!お祭りの日にお寺の裏でやっていました。勝ったコト無い。

    1. ここぞとばかりに、体格のいい子たちが登場し、アレヨアレヨと言う間に、土俵ぎわでした!

  2. 今では 子供会の人数も少なくなりつつありますが 昔は 地区ごとに ほぼ全員参加しての大所帯でした。
    夏休みで覚えてるのが ナガシマ ジャンボ海水プールに連れて行ってもらった事です。初めて波の出るプールを体験したりして。8月から毎朝の日課になるラジオ体操も大所帯。
    とにかく楽しかったなぁ〜( ◠‿◠ )

    1. そうでしたよねぇ。
      どこもかしこも子どもたちだらけで、大賑わいでしたものねぇ!

  3. 校庭の慰霊碑の近くに立派な屋根付きの土俵がありました。そういえば材木屋さんもあったような 少しづつと思い出しています。

    1. へぇ~っ、屋根付きの本格的な土俵があったんですかぁ!
      随分と力を入れていたって事ですねぇ!
      その昔にでも、地元から名のある力士さんが出られたんですかねぇ?

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