「昭和Nostalgia」(461)

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こんな卓上ピアノを見かけると、ついつい思い出してしまう、子どもの頃の1シーンがあります。

ちょうどその日も、原っぱで仲間たちと草野球に夢中になっていると、雲行きが急に怪しくなって夕立に!

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そう言えば最近は、「夕立」やら「入道雲」なんて、とんと聞かなくなってしまい、やおら「ゲリラ豪雨」とかって、何とも風情も感じられない、危険な名称で呼ばれるようになってしまったものです。

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草野球を早々に切り上げ、原っぱから一番近い、同い年の「フミ」ちゃん家の軒先で雨宿りをしておりました。

すると玄関が開き、「フミ」ちゃんが顔を覗かせ、良かったら上がって来て、一緒に遊ぼうと。

「フミ」ちゃん家の茶の間には、こんな赤い卓上ピアノが置かれ、それをおもむろに弾き始めたのです。

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はてさて一体どんな曲だったのかは思い出せそうにありませんが、やがてブリキ製の鉄琴を模したオモチャを使って、「フミ」ちゃんのピアノに合わせて、一緒に演奏する羽目に!

って言ったって、鉄琴なんて一度も叩いた試しも無く、「フミ」ちゃんのピアノ演奏の傍らで、鉄琴擬きを叩いては不協和音を奏でたものでした。

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内心では、こんな合奏遊びよりも、早く夕立が上がってくれて、もう一度草野球がやりたいばかりでしょうがなかった、そんな記憶が大半を占めていた気がします。

やっぱり女子は男子とは異なり、遊び一つとっても、文化度が高くって、粗野な男坊主に取っちゃあ、居心地があんまり良くなかったのかも知れません。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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