「昭和Nostalgia」(406)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昨日、チューブ入りのチョコレートの歴史を、森永さんのHPで調べていたら、こんな弁当を発見!!!

なんとその名も「森永ベントウ(おかず入り)」!

昭和15(1940)年に、乾パンをベースに、乾燥野菜と魚粉ペレットをセットして発売されたものだとか?

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果たしてどんなお味だったのやら?

当時は、物資不足の戦時中でもあり、食糧確保のため主食の米を節約しようと言う「節米運動」なるものが盛んに奨励されていたそうです。

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戦後80年の今、庶民はコメの高騰に頭を痛めるばかり。

戦地に赴いていたわが家のお父ちゃん。

慰問袋の中に、こんな「森永ベントウ(おかず入り)」なんて入っていたんでしょうか?

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あの世とやらでお父ちゃんに逢えたら、これまた聞いてみたいものの一つでもあります。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(406)」への2件のフィードバック

  1. ボクの父も南支那に通信兵として従軍していたみたいです。残念ながら戦争の話は聞いていません。長兄が仕事で中国に行った時に時間をつくって父が居た駐屯地を尋ねたら、そこは戦争を忘れない為の抗日戦争記念館になっていたそうです。

    1. 戦地に赴き、無事に復員された方は、黙して語らず!
      戦地の悲惨さは思い出した苦も無く、語りたくも無かったろうと思えてなりません。

多治見の髙木ともふみ へ返信する コメントをキャンセル

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