ついに3月19日の夜、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」の動画制作発表会が開催されました。飛騨市古川中学校3年生の皆さんが、動画の編集制作をしてくださり、飛騨市の魅力が溢れる作品に仕上がりました!ぜひぜひ、ご覧ください!
※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook
飛騨市の「広報ひだ」4月号「飛騨びと 言の葉綴り」は、お休みです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
昭和半ばの原っぱや工場の空き地には、あちらこちらにこんな土管が放置されていたものです。
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昭和半ばをわが物顔で駆け抜けた、筋金入りの腕白坊主やお転婆娘にとっちゃあ、秘密基地やらおままごと遊びの個室に早変わり!
でもいったい、何がそんなに楽しかったのやら?
写真は参考
今となっては思い出すことも叶いませんが、ぼくが想像するには、勉強部屋と称した個室が与えてもらえるような裕福なご家庭とは違って、そんな個室への淡い憧れがあったような気がしないでもないものです。
まぁ今のぼくだったら、キリン晴れ風と酒の肴でも持って、土管の中に寝そべりながら、ポカポカ陽気の春を満喫しちゃうんでしょうねぇ。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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オバQやドラえもんで定番の風景!この辺りの空き地には土管は見かけませんでしたが、やはり土地柄。陶器の不良品や破片があちこちにありましたねェ─!
流石、陶都だけありますねぇ!
ハナ垂れ小僧の時の私は土管で遊んだ記憶がなくて・・
もっぱら、低学年の頃は小学校の中庭に
チョットした池と高低差1メートル程の小山(そう呼んでました)
ひょっこりひょうたん島を彷彿させる場所で
探検ごっこをやったり、隠密剣心ごっこをやったり
今の子どもに比べて、
昭和時代の子供達は遊びの想像力は豊かだったに違いないと・・
そりゃぁ❢ゲームなんて無かったしねぇ❢
真っ黒な顔をして遊び回って日が暮れるって感じ・・
その影響か、今じゃ顔より腹が黒くなってメタボだねぇ❢
ぼくも風呂敷をマント代わりに首に巻き、颯爽と近所の原っぱを駆けずり回ったものでした。
ホント!何がそんなに楽しかったのやら?
でも当時は 友達とお喋りしたり 歌を唄ったり… 楽しくて居心地が良かったんですよ( ◠‿◠ )
今は 危険だから こういう場所は無いと思うけど 確か ドラえもんの番組内で 空き地に土管が積まれた場面があったような。一番上にジャイアンが座ってたりして(笑)
子供の頃は 何もなくても遊びを生み出す才能があったんですね!
なんせ昭和の子どもたちは、日常の中で遊びを生み出す天才でしたからねぇ!
道具なんて正式なものなんてなくったってへっちゃら!
代用品で十分でしたよねぇ。