「昭和Nostalgia」(376)

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子どもの頃の家の台所の壁にも、こんな束子が吊り下げられていたものです。

お釜を洗うもの、フライパンや鍋を洗うもの、茶碗や湯呑を洗うものと、お母ちゃんはお母ちゃんなりのルールを定めていたのでしょう。

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木製のまな板も、こんな風に束子で擦っていたものでした。

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そう言えば、こんな棕櫚で出来た長めの束子もあったような?

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そして台所の片隅には、こんな紙の容器のクレンザーなるものが鎮座していましたねぇ~っ!

でも紙の容器のため、水に濡れて円柱の筒がブニュブニュになっていたのを覚えています。

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はたしてお母ちゃんがお気に入りだったクレンザーは、どれだったのやら?

しっかり者のお母ちゃんでしたから、スーパーで一番お安く購入できた物に違いないでしょうが!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(376)」への8件のフィードバック

  1. 僕の母はあまり関心が無かったようですが、現在の僕のパ─トナ─は、全くこの写真の通りで、キッチンにブラシ類が吊り下げられています

    1. 住宅展示場のモデルルームのような、整然としたキッチンのようにはいかないものですよねぇ。
      もっとリアルな、生活の一部でもある台所仕事の機能性を考えると、キッチンの主人公である人物の使い勝手の良さが追求され、それぞれカスタマイズされて然るべきかも知れませんものねぇ。
      家のお母ちゃんの台所なんて、お母ちゃんが半歩動くだけで、どんな調理器具でもお皿でも、手が届くくらいに配置されていたような気がします。
      その代わり、モデルルームのような奇麗なキッチンとは、天と地の開きがありました。

  2. 我が家の台所にも 束子 ありましたよ。 決して1つじゃなかったはずです(笑) 途中 台所用スポンジが加わったけど 束子が消える事はなかったですね。よく鍋を磨いてましたから。そして その時に使ってたクレンザー 我が家は必ず ホーミング(写真左から2番目) 。まだ片付け途中の実家の台所に鎮座しています。私にも よく薦めてきました( ◠‿◠ )

    1. さすがの記憶力ですねぇ。
      ちゃんとクレンザーの銘柄まで覚えているなんて!
      ぼくなんて、洗剤のママレモンを覚えているくらいしかありませんもの。
      自慢じゃないですが!

  3. クレンザー・・
    今は、粉と液体の2種あるけど
    昔、鍋など焦がすと、ひたすら粉のクレンザーをぶっかけて
    たわしでゴシゴシ、こすってもこすっても焦げ付きは取れなかった。
    テレビでやってたけど「重曹」でも綺麗になるらしい❢
    余談ですが・・
    昔、焼もちを焼き過ぎて「心を焦がした」なんて事なかった?
    これは流石のクレンザー、重曹でも落ちんわな~~ぁ⤴

    1. そっちの「焼きもち」かぁ!
      でも心が真っ黒に焦げ付くほど、心を寄せるお相手がいるなんて、そいつぁ~その方への想いが、如何に重かったかってことなんでしょうねぇ。

  4. クレンザーにも こんなに種類があったんですね。金色しか見たことがないので驚きました。いつも綺麗にしてあったと 懐かしく思い出しました

    1. 今に比べたら、昭和の時代の台所仕事は、さぞや大変だったことでしょうねぇ。

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