「昭和Nostalgia」(369)

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和半ばの頃、町医者でいただく薬は、こんな風に油紙のようなモノに包まれておりましたですよねぇ。

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でも子供の頃は、粉薬をなかなか飲めなくって、お母ちゃんがオブラートに包んでくれて、それを渋々飲んだものでした。

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そう言えば子どもの頃、ボンタンアメの周りを包んでいた透明の包装紙を、ぼくは食べられるオブラートとは思いも付かず、丁寧に透明フィルムを必死になって剥いていて、ボンタンアメの本場、鹿児島出身のお母ちゃんに散々笑われたものでした。

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そう言えば、お父ちゃんが「胃が痛い、胃が痛い」と言っては飲んでいた胃腸薬も、紙に包まれていましたねぇ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(369)」への4件のフィードバック

  1. 薬袋の包み方を、子どもの頃に練習した記憶があります。まだ覚えてるかなぁ?

    1. ええっ、そんな練習をなさっていたとは!
      なかなか大したお方でしたですねぇ!
      ぼくなんてツル一つとっても、満足のいくような出来栄えじゃありませんでしたもの。

  2. 我が家では ボンタンアメをよく食べてたので 透明フィルムには慣れっこだったけど 最初の頃は不思議だったし 「これは食べれるの?」と母に聞いてました。あの食感もなんとも言えなくて…(笑)
    そう言えば 透明フィルムで包まれてる理由ってなんだろう?
    気にした事もなかったなぁ〜。

    1. 鹿児島とご縁の深い家庭には、やっぱりボンタンアメは欠かせませんよねぇ。
      あの上あごに張り付いてしまう、オブラートの感覚が思い出されます。

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