「昭和Nostalgia」(367)

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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この当時の国鉄のキャンペーンって覚えて見えませんか?

なんでも大阪万博のあった年、1970(昭和45)年10月14日「鉄道の日」から、DISCOVER JAPAN「美しい日本と私」キャンペーンが始まったとされています。

ぼくはこのコマーシャルにすっかり魅せられ、まだ中学生になったばかりではありながらも、まだ見ぬ日本各地への旅に想いを馳せたものでした。

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このキャンペーンに伴って、京都や奈良など各地の古い日本の風情が見直されるようになり、アンアンやノンノと言った雑誌に取り上げられ、各地を旅する人々が増えたそうです。

昭和半ばの宮川朝市の風景

飛騨の高山もそんな頃から、「小京都」と呼ばれるようになり、全国でも屈指のディスティネーションの一つになっていったと、老舗旅館の女将さん(2020.1.24付け本ブログ「天職一芸~あの日のPoem 5」に記載)教えてもらったことがありました。

今じゃあ古い町並みも朝市も、海外からのお客様の方が、日本人観光客よりも遥かに多いとか!

そう言えば明日9日、「飛騨びと~言の葉綴り」の取材で飛騨市へ向かう途中、高山で下車しレンタカーに乗り換え神岡へと向かいますが、高山と言っても所詮高山駅の西口まで。

コロナ以降、高山の街中を随分歩いてないですねぇ。

帰り道にでも、ぶらりと寄ってみたいものです。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(367)」への4件のフィードバック

  1. ワタクシも高山の街は、オカダさんと行って以来です。蔵元に行かずに単独行動して、ステキな本屋さんを発見しました。と言うか、そこに行くためにコ─スから外れたんやったわ─!

    1. それはそれで、大いにアリです!
      ぼくも団体行動が極めて苦手ですから!

  2. 1970年の大阪万博 行きましたよ。写真が残ってましたから(笑)
    行った!っていう記憶はないけど あの場所の何処かで 海外の方が私の両手に氷を乗せてくれた事だけは覚えてるんです。
    初めて外国の方に会ったからでしょうか⁈( ◠‿◠ )
    また再び大阪万博が始まりますね。

    1. ぼくもお父ちゃんに連れられて行った大阪万博の想い出は、これと言って鮮明に記憶に残っている事象はほとんどと言っていいくらい、抜け落ちてしまっています。
      海外の方が氷を持たせてくださったのは、途轍もなく暑かった夏の日の出来事だったんでしょうかねぇ?

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