「昭和Nostalgia」(365)

魅力詰め込んだソングと映像で飛騨PR 地元生徒とオカダミノルさんが共同制作:中日新聞Web

オカダミノルさんの飛騨市PRソングと古川中生の動画をお披露目 – 飛騨市公式ウェブサイト

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ぼくがまだ子供の頃なんて、近所にもこんな野良犬たちがいたものでした。

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大人たちは野良犬に噛まれて狂犬病になったら大変だと、ご近所の有志のオッチャンたちが野犬を捕らえて、保健所に引き渡していたように記憶しております。

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そんな頃は、家の近所の公園でも、狂犬病の予防接種とかが行われ、家の老犬ジョンも接種を受けに行ったものでした。

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接種を終えると、接種済みを証明するステッカーやら、首輪に着けるプレートなんかがいただけたものでしたねぇ。

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老犬ジョンの首輪にも、こんなプレートが着けられておりました。

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そして家の玄関には、こんな「犬」と書かれたステッカーが貼り付けられておりました。

でもわが家のバカ犬のジョンは、首輪抜けの達人でして、いつのまにやら首輪から頭を抜いて、ご近所を徘徊して勝手口に脱いである履物の片足分だけ家に戦利品のように持ち帰り、お父ちゃんやお母ちゃんはご近所を一軒一軒回って、片一方だけの履物の持ち主に返して回るため、とんでもなく手を焼いていたものでした。

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そうした一連の努力もあってか、身近で狂犬病に罹った人はいなかったようです!

くわばら、くわばら!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(365)」への2件のフィードバック

  1. 以前にも投稿したと記憶していますが、子どもの頃に近所の子と三人でツグミを採る山頂の小屋と網を見に行きました。途中で、犬の鳴き声がして、「野犬!」と叫んで大慌てで走って逃げて戻ったコトがありました。やはり噛まれて狂犬病になるのが恐怖という認識が一般的だったからですね。

    1. そんな山の中で野犬と出逢ったなんて、そりゃあもうさぞや恐怖を感じられたことでしょうねぇ。
      ぼくだったら、きっと腰を抜かしていたかもしれません!

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