「昭和Nostalgia」(356)

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

中学生の頃だったか、高校生になってからだったか、誰かに連れられて喫茶店で「レイコー」でも飲んでいた時の事だったやら?

近くの席に座られた淑女が、「ウインナーコーヒーお願いします」と、ウエイトレスさんに告げられたんです!

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当時は今以上に世事に疎かったぼくは、もう皆様もご想像のように、心の中で「ええっ、そんな!コーヒーにタコちゃんウインナーなんて入れて、果たして美味しいもんだろうか???」などと、しきりに首をひねったものでした。

それからは淑女のご所望になられた「ウインナーコーヒー」とやらが、運ばれてくるのを今か今かと、固唾を飲んで待ち構えたりしたものでした。

ところが!

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なんのこたぁない、こんな風にコーヒーの上には、どこにもタコちゃんウインナーなど見当たりません。

美味しそうな生クリームがこんもりと浮かべられ、その傍らのソーサーの上に、スティック状の何やらが添えられているだけです!

と言う事は、もしかしてあの茶色いスティック状の何やらが、サラミのように加工された棒状のウインナーのようなものだろうかと、ますますもって淑女の一挙手一投足から目が離せなくなったものでした。

すると淑女はコーヒーカップにグラニュー糖をスプーン一杯注ぎ入れ、茶色いスティック状のものでゆらゆらと掻き混ぜ、おもむろに一口啜ったのです。

砂糖とウインナーの塩味が、きっと黄金比なんだろうなあと、羨望の眼差しを注いだものです。

ところがどっい!

それ以来、喫茶店に入る度にメニューを眺めては見るものの、おいそれと「ウインナーコーヒー」がメニューに表記されちゃあいませんでした。

と言うよりも、それからもぼくが喫茶店に連れられて行った店は、ウインナーコーヒーがメニューに表記されるような、そんな洒落た店じゃなかったってことなんでしょうねぇ。

やがてそんなことも忘れかけ、十分に大人になった頃、若き日の疑問が解き明かされることに!

そもそも「ウインナーコーヒー」の名を冠し、初めて提供を始めた喫茶店は、東京神田は神保町にある「ラドリオ」だとか。

この店の常連客だった東大の教授が、ウィーンに留学した折に目にしたコーヒーの話を元に開発されたものだとか。

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そしてぼくが、棒状のサラミかと勘違いしたのは、カプチーノを気取って見せた、シナモンスティックだったと言うわけです。

なんてこったい!

でも、皆さんの中にも、ぼくのようにお戯けな勘違いをなさった方もおいででは???


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(356)」への4件のフィードバック

  1. ウインナーコ─ヒ─、生涯で一度くらい飲んだかなぁ?ワタクシは、同じ頃だと思いますが、ティラミスに興味津々でした✨今もあるかなぁ?

    1. ぼくなんて、数えるくらいしか、飲んだこたぁありませんねぇ。
      そう言えば、ディラミスティラミスと耳にした時期もありましたねぇ。

  2. コーヒーの種類って たくさんあり過ぎて もう何がなんやら。
    写真が添えてあれば…
    娘と外出した際は いつも細かく聞いてます。見た目や味など。
    でも聞いてばかりで 他の飲み物を注文しちゃうんですけどね。
    まぁ 社会勉強という事で…(笑)

    1. それにしても色んな種類があって、選ぶのも一苦労ですよねぇ。
      ぼくは35年近く前の、NZウエリントンのホテル・ジェームズクック・セントラの近くのカフェで覚えた、丼のようなボールに並々と注がれた「ボール・オブ・ラテ」一辺倒だったものです。
      丼ラテ一杯でお腹一杯でした。

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