飛騨市の「広報ひだ」2月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
そう言えばわが家にも、こんなマガジンラックがありましたですねぇ。
とは言え、洋風なリビングのソファーの傍らにあったのならともかく!
櫓炬燵が部屋の真ん中にデーンと居座り、お母ちゃんが鳴り物入りで、他所のご家庭の真似をしようと買い込んだマガジンラックは、その居所もどうにも定まらず、茶箪笥の前で違和感剥き出しのままうずくまっていたような?
写真は参考
それに肝心要のマガジンラックに納まっていたのは、新聞や折り込み広告と、お隣さんから回って来た回覧板と言った類で、とてもとてもお洒落なファッション誌など、まったくもって見かけられなかった気がいたします。
するとやがてその内にマガジンラックは、お父ちゃんの孫の手やら、お母ちゃんの家計簿といった、身の回りの品々が独占するようになり、洗濯物がなかなか乾かない冬の日なんぞは、お父ちゃんのまだ生乾きの作業着が広げられていたりしたものでした。
残念ながらわが家のマガジンラックは、いつまでたってもわが家の景色に馴染めず、儚くもその務めを終えて行ったものです。
きっと皆様方のお宅じゃあ、そんなこたぁありませんでしたよねぇ。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
okadaminoru のすべての投稿を表示
実家の居間のテレビの横に鎮座しています。電化製品の説明書、町内から回って来た古い案内等がギッシリ詰まっていますが、最近新たな役割が任命されました。母の通うデイサービスから頂いたバ─スデ─カ─ド(写真付き)を乗せるコト!ちょうど良い高さなので!
やっぱり!
いずこも同じような末路へと向かっちゃうものなんですねぇ。
逆にそれだけ、マガジンラックとは名付けられていようが、その家々で用途が変化する、どっち付かずの家具の一つだったんでしょうかねぇ?
必死に幼い頃の記憶を辿ってみても 我が家にはマガジンラックなる物は なかったですね〜。
私や妹が読む本は 勉強机の上にあっただろうから 両親が見てた雑誌や新聞は? せいぜい 台所の机やちゃぶ台の上だったのかも知れませんね。
今では マガジンラックも素材やデザインも色々あって かなりオシャレになってるんですよ( ◠‿◠ )
新聞にしろ雑誌にしろ、今の時代は紙にプリントされた情報なんかじゃなくったって、スマホやPCのデジテル情報の方が、多岐にわたり瞬時に選択できますから、マガジンラックそのものが、スマホやPCと言えちゃうかも知れませんよねぇ。