「昭和Nostalgia」(333)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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パンツ丸見えでも平気の平左で、道端でホッピングに高ずるお転婆娘たちが、それはそれは沢山いたものでした。

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もちろんやんちゃ坊主共だって、負けちゃあいません!

ぼくはホッピングを買ってもらえたのか、買ってもらえなかったのか、もう記憶がこそげ落ちてしまっておりますが、何度か遊んだ記憶と、その時の感覚はしっかりと残っております。

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でもわが家の物置で、ホッピングを見かけた記憶がこれまたありませんから、もしかしたら友のホッピングを借りて遊んでいたのかも知れません。

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いずれにせよ、天下の大道をわが物顔で占有し、子どもたちは臆することも無く遊び呆けていられた、何事にも大らかで緩やかな時代、それが昭和の半ばでもあった気がいたします。

それにしても、もうホッピングに高じている子なんて、とんとお見掛けできませんよねぇ。

それもちょっぴり寂しい気になるものです。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(333)」への2件のフィードバック

  1. 男の子達が よく ホッピングに乗って競争してました。私達女子は その傍らでゴム飛びを…( ◠‿◠ )
    それも駐車場で。
    今では 外で遊ぶ子供達も少ないけど 公園自体も減りつつありますからね。
    未来は どんな景色になっちゃうのかなぁ〜?

    1. ぼくらの子ども時代は、バーチャルなスマホやタブレットの中で遊ぶような空間なんてありませんでしたから、何もかもがリアルな遊びで、転んで擦りむいたり痛みを伴ったものでしたよねぇ。

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