今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

子供の頃、ポン菓子屋のオッチャンが鐘を鳴らしながら公園へやって来ると、ぼくらは一斗缶の空き缶に生米を1合と、いくらだったか忘れましたが、ポン菓子にしていただくお金を握り締め、我先にオッチャンの元へと駆け出したものでした。
一般的には、ポン菓子と言うようですが、ぼくらは誰もが「パッカン」と呼び、「パッカン屋のオッチャン」がやって来た~と、そう呼んでいたものです。
ぼくには仲良くしていただいている、飛騨市のポン菓子屋、その名も「ポン菓子屋本舗」の下出明己さんこと「飛騨もん太=飛騨ポン太」さんがいます。

そう言えば昔、マカロニで作ったポン菓子「オカポン」を作ってくださったあのお方です。
飛騨ポン太さんのFacebookもぜひご覧あれ!
ぼくらの地域にやって来たパッカン屋のオッチャンは、

大きな声で「みんな、耳をふさげよ~っ!」と大声を張り上げ、圧力釜のレバーをハンマーで叩き開けます。
すると「パッカーン」と轟音が鳴り響き、辺り一面に白煙が舞い上がり、ぼくらはおっかなびっくりで耳を塞ぎながら、その一部始終を遠巻きに眺めたものです。
生米からふっくらと膨らんだポン菓子は、網から切溜のような浅い木箱に移され、オッチャンが水飴を刷毛でポン菓子の表面に塗り、確か彩として青海苔を振り掛け、伸し餅の様に固まったポン菓子を包丁で蒲鉾板くらいに切り分けてくれ、それを持参した一斗缶に入れてもらって家へと持ち帰ったものでした。

あの素朴なポン菓子の味は、昭和半ばのぼくらにとって、忘れられないとっておきの一つだったに違いありません。
ぼくは出来立てのポン菓子よりも、ちょっと時間が経って湿気った感じのポン菓子が好きでしたねぇ。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
そういえば昨日、南知多にポン菓子専門店があると、某テレビ番組で紹介してました。昨日の今日で何か奇遇(^・^)
ポン菓子一つで、幼い頃の残像が蘇って来ちゃうから不思議なものです!
私も「パッカン」って呼んでました。
初めて あの不思議な機械と大きな音に出会ったのが 幼稚園の年長の頃。近所のお寺の山門前で作業をされてたから いつも人だかりが出来てました。買った記憶はないけど 大きな音にビックリしながらもお菓子が出来る様子をワクワクしながら見てたなぁ〜( ◠‿◠ )
風景が懐かし〜い♡
やっぱり「パッカン」と呼ばれてましたかぁ~っ!
この地方だけなんでしょうかねぇ。
ポン菓子って呼び方は、大人になってから知りました。