「昭和Nostalgia」(315)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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こんなマッサージ機ってご存知ですか?

ぼくは子供の頃、床屋さんで大人たちだけがこんなマッサージ機を、肩や背中とか腰などに宛がわれ、大人のお客さんたちが恍惚としている姿がある種羨ましくもあり、ぼくも早くバリカンで丸坊主にされる時代を終え、大人の客として床屋さんに通いたいと思ったものでした。

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そしてついに大人の客となって床屋さんで、こんなマッサージ機を宛がってもらえた時は、それこそ至福の時間となったものでした。

つい何年か前まで、こんなマッサージ機が現役の床屋さんにもあったものです。

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さすがにこんな、家庭用のマッサージ機は、わが家にゃあありませんでしたが、父の日のプレゼントにお父ちゃんに買ってあげればよかったなぁと、今さらながら思えてなりません。

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しかしまぁ、マッサージ機にも色々と種類があったようですねぇ。

こんなマジックハンドのようなモノで、肩を揉まれたとしたら、何だかだなぁ何て思えちゃいます!

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だって見るからに痛そうだし、なにより使いにくそうですよねぇ。

やっぱり揉みは人の手に限るんじゃないでしょうかねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(315)」への6件のフィードバック

  1. 子どもの頃は、というか高校時代まで、ずっと散髪は母にしてもらっていました。初めて床屋に行ったのは京都の大学時代。もっぱら生協の床屋さんでしたね─。今は多治見の駅前の床屋さんに行ってますが、マッサージ器は見たことないです。もっぱら手&腕を使ったマッサージ‍♂️ですね!

    1. マッサージ機の感触より、やっぱり短時間のお愛想のような手揉みのマッサージの方が癒されますよねぇ。

  2. 写真を見て 思わず笑ってしまいました。
    先日 実家の片付けをしてたら 1枚目と3枚目の写真のマッサージ機があったから( ◠‿◠ )
    3枚目のタントンは 母が使ってるのを見た覚えがあるけど もう1つのほうは…
    これもまた最初だけ…で終わってしまったのかも知れませんね。
    手っ取り早く サロンパスを貼ったり 私達の肩叩きで済んでたのかも(笑)

    1. お父ちゃんやお母ちゃんのご機嫌取りに、ぼくも肩叩きや肩もみをしてあげたものでしたねぇ。
      それと手の届かない場所に、サロンパスやトクホンなんてぇのを、貼ってあげてはご機嫌取りをしたものです。

  3. 家業が◯◯店だったから、3番目の写真の様なマッサージ機あましたよ。子供の頃はそれがやりたくてやりたくて。でも、気持ちいいって言うよりは、くすぐったかった気がします(๑´ڡ`๑)

    1. 子どもの頃は敏感ですから、大人のような気持ちいいって感覚よりも、くすぐったいってぇのも分かる気がします。

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