飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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昨日のアドバルーンの続きのようですが、日本初飛行の飛行船キドカラー号をぼくも確かにこの目で眺めた記憶がございます。
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それが果たしていつのことだったのか、もうすっかり覚えちゃいませんが、確か小学校の校舎の窓から眺めたような?
そこでちょっと知りたくなって、調べてみました!
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昭和43(1968)年7月初めに、5個の木箱に梱包された飛行船が名古屋港に到着し、岐阜県の川崎重工業各務原飛行場に移動し、飛行船の組み立てや広告レタリングの貼り付けとガスの注入が行われ、9月1日に日本国内で初飛行が行われたとか。
参考
その後、全国各地を飛行したとありますから、そんな頃に各務原飛行場から飛行船が移動する折にでも眺めることが出来たのかも知れません。
とにかくセンセーショナルで、飛行船の行くところ大渋滞やら、大混雑を巻き起こすブームだったようです。
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中にはちゃっかり、こんなオモチャまで登場していたようです。
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もちろんぼくは、買ってもらえませんでしたが!
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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飛行船キドカラー号、見たような見なかったような。ボクの住んでる地区の電気屋さんが東芝のお店だったので、我が家の電化製品は全て東芝でした~!ただし、このキドカラーのマスコット「ポンパ君」の人形はなぜか、ありました!
飛行船は実にセンセーショナルでしたぁ!
「ポンパ君」の人形が手に入りましたかぁ!
キドカラー号は 見た事がないと思うけど それ以外の飛行船は 何度か見た事がありますよ。
最初は テレビ等で事前に知った上で見た訳ではないので 見た時は 『えっ?何?』って感じで固まった記憶があります。
『あの中には 人がいるの?』って思った事も覚えてます(笑)
一体 誰が 何をきっかけで思い付いたんだろう?
飛行船でゆっくりと大空を巡ったら、そりゃあもう気持ちがいいもんでしょうねぇ。