「昭和Nostalgia」(295)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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この黄色い旗を持っている、緑色の制服を着たおばちゃまを見て、「あっ、緑のおばさんだぁ!」と思わず口にされた方も、これまた立派な昭和人に違いありません。

なんせぼくが育った昭和半ばの裏通りなんて、子どもたちの格好の遊び場だったものです。

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ところが年々車が増え始め、ぼくらが遊びとして我が物顔に振舞っていた裏通りにも、トラックや自家用車が侵入してくるようになったものです。

そうなると交通事故が頻発するようになり、第一次交通戦争なんぞと呼ばれたものでした。

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そんなことから、小学校でも婦警さんがやって来て、交通安全教室なるものが開催されたものです。

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横断歩道の渡り方なんかをご指導いただいたとは思いますが、ぼくなんぞはついつい若い婦警さんに見惚れてしまっていた気がします。

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それに伴い登下校の通学路においても、交通量の多い横断歩道には、「緑のおばさん」が黄色い旗を掲げ、ぼくたちを見守ってくれていたものでした。

ちなみに11月19日は、「緑のおばさんの日」なんだとか。

学童擁護員の皆々様、ご苦労様でございます。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(295)」への5件のフィードバック

  1. 懐かしいです。本当に感謝です。
    挨拶してもらえるのが嬉しかったですよ( ◠‿◠ )
    知立市では ボランティアの方々やシルバー世代の方々などが 市内各小学校全てにおいて 登下校の見守りをして下さってます。
    私の子供達が小さい頃は 交差点に保護者が当番制で立ち 見守ってたけど 交通量の増加やいろんな事件等がきっかけで 今では 通学路のほぼ半分の距離を子供達と一緒に歩いて下さいます。
    時々 お喋りしてる風景を見ると ほっこりしますよ。
    私の父親も 近所の子ども達に寄り添いながら歩いてたなぁ〜( ◠‿◠ )

    1. 年々ご近所さんや、地域の方々との関係が希薄になる一方ですが、交通指導員の皆さんの存在はとっても大切です。
      ぼくも朝方、自転車で通る小学校近くの横断歩道に立たれている、年配の男性交通指導員の方とは顔見知りとなり、ぼくが自転車で通過する時に、「おはようございます」と互いに声を掛け合っています。

  2. 長年勤めた「青少年補導委員」を今年度いっぱいで辞めます。先日、新庁舎になった多治見警察署に制服、腕章などを返却しました。「緑のおばさん」 のような愛称はなかったケド。夜のお勤めなので縁の下の力持ち!

    1. 上手い!
      みどりならぬ、えんの下と来ましたかぁ!
      長年のお勤めご苦労様でした。

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