「昭和Nostalgia」(285)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和半ばのぼくが子どもの頃は、交差点の中央のお立ち台の上で、お巡りさんが交通整理をされていたものでした。

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中にはこんな、婦警さんの交通整理なんてぇのもあったようです。

今とは制服も随分違っていたようですねぇ。

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もちろんわが家の近所の交差点では、都心部とは異なり交通量も少なかったからか、お巡りさんの凛々しい交通整理のお姿なんぞ、お見掛けできませんでした。

でも月に一度くらい、お母ちゃんに連れられて名古屋駅へバスで向かうと、笹島の交差点とかで交通整理に当たる凛々しいお巡りさんのお姿を拝見したものです。

そして当然ながら家に帰ると、お巡りさんの姿に刺激され、ブリキのバケツを引っ繰り返して、その上に乗って交通整理の手信号を真似たものです。

でも誰もぼくの手信号に従ってくれるものなどおりませんでした!(無念!)

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中にゃあこんな陽気なお巡りさんの交通整理もあったようですねぇ。

今風のDJポリスならぬ、イヤミのシェーポリスとでも申しましょうか?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(285)」への4件のフィードバック

  1. さすがに田舎の多治見では、交通整理も必要無く、この姿は見たコト無いです。最後の、シェ─姿を見て昔、工事現場の誘導員で、派手なアクションを交えて誘導している人が居て人気だったのを思い出しました✨

    1. 派手なアクションの交通誘導員の方って、ぼくもどこぞかで見かけたことがありました。
      本来は厳格であるべき交通誘導も、何ともなくコメディータッチで微笑ましかったものです。

  2. 当時は 今みたいに交通量も多くなかった…とは思うけど 車の往来の中に立ってるって 見てるだけでもヒヤヒヤしちゃいます。
    実際に 写真のような場面を見たことはないけど 大きな停電か何かで 信号が可動しなくなった時に警察の方が 手信号で車を誘導してるのは見た事はあります。
    感謝しかありません。

    1. 確かに今ほどの交通量がある世の中では、交通整理に当たられる警察官の方も命懸けですものねぇ!

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