「昭和Nostalgia」(279)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ぼくが子どもの頃は、正月の三が日が終わると、こんな「初荷」の旗や幕を掲げたトラックを目にしたものです。

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その度に、子どもながらにも、もう冬休みも終わって三学期が始まるんだなぁと、ちょっと寂しい気がしたものでした。

平成から令和の現代になると、ますます正月気分ももう味わえなくなって来ちゃった気がして仕方ありません。

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お正月には、こんな立派な注連飾りを付けた自家用車も、そこら中で目にしたんですけどねぇ。

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それよりも何よりも、元日に日の丸の国旗を掲げる家もトント見なくなっちゃいましたものねぇ。

まぁ、マンシヨン住まいのわが家では、共有部分の玄関入り口に国旗を掲げるなんて、とてもとても無理な相談です!

って言うより、そもそも国旗も掲揚ポールもありませんが(大汗)


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(279)」への4件のフィードバック

  1. そうそう。お正月は皆が休む時で静かでしたね。学生時代のサ─クルで、名古屋駅近くで毎年新年会をやっていましたが、正月からやっている飲食店は今と違ってかなり少なく、毎年そこで新年会でした。(確か、たまき、というお店でした)いつ頃から今のようになって来たのでしょうか?昭和は余裕のある時代でしたね。

    1. 昭和のお正月は、どこもかしこも静まり返っていたものでしたねぇ。
      確かに、空いているお店を探すのも一苦労だったものです。
      昭和の時代は、貧しいながらも、寛容な心で互いを労わり合えた、そんな時代でもありましたよねぇ。

  2. 両親の自家用車に注連飾り 付けてありましたよ〜。
    なんなら ダッシュボードの上に小さな鏡餅も置いてありました(笑)
    勿論 これだけに限らず 神棚とお仏壇 そして 各部屋やトイレや洗面所やお風呂場にも鏡餅が!
    昔の人…っていうのもあるけど 母は こういう事を丁寧に行う人なんです。
    日の丸の国旗も掲げてましたよ。
    今では 見掛けなくなりましたね。
    唯一 近所の交番で見掛けるぐらいです。

    1. 家のお母ちゃんも、夢ちゃんのお母さん同様、家中あちこちに御座す八百万の神々にもお供えをと言って、小さな鏡餅に豆注連縄に裏白をお供えしていたものです。
      そう言えば、幼い頃のわが家にも、組み立て式の国旗の掲揚ポールがあったものです。

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