「昭和Nostalgia」(278)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

松の内も終わるころになると、すっかりおせち料理やお雑煮にも飽きちゃって、こんなシンプルなチキンラーメンが食べたいと、子どもの頃はお母ちゃんに強請ったものでした。

この時ばかりは、さすがにお母ちゃんもお父ちゃんも、おせちや雑煮にも飽きちゃっていて、快く同意してくれたものです。

写真は参考

なんとチキンラーメンは、昭和33年の8月25日に35円で発売されたそうですが、そう考えるとぼくがちょうど生後9か月からこの世にあったとは、1歳違いの弟のようなラーメンでもあり、親しみが非常に湧いちゃいました。

写真は参考

でもぼくが初めてチキンラーメンを食べさせてもらったのは、小学校の1~2年生になってからだったように思います。

写真は参考

パッケージもこんな風な変遷をたどったようですねぇ。

写真は参考

しかも世界7か国でも販売されてるとはビックリ!

写真は参考

それからしばらくして登場した「出前一丁」も、ごまラー油が良い味を出して、ぼかぁ好きなインスタントラーメンでもありました。

写真は参考

でも考えてみると、チキンラーメンも出前一丁も、もう数十年以上食べてないですねぇ。

今度買ってみよ~っと!

写真は参考

こんな「お茶漬けチキンラーメン」なるものが、この世にある事は今日の今日まで知りませんでしたぁ!(汗タラタラ)


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(278)」への6件のフィードバック

  1. 我が家は出前一丁!派でした。チキンラ─メンを食べたのは大人になってからでしたね。とりあえず、ラ─メンといえば、小池さん!

  2. チキンラーメンや日清焼そばは 6本入りの缶ビールにおまけで付いていた時、久しぶりに食べましたが『美味し~い』って思いましたもんね
      
    出前一丁 もう何十年も食べてないですが、めっちゃ美味しいんでしょうね! 
    あの ごまラー油が美味しさを引き立ててますよね  (#^.^#)  

    お正月太りが解決したら 食べてみようと思っています が、 何時になるか?(〃´ω`〃) 

    1. お正月太りは幸せ太りってもんじゃないでしょうか?
      でも原料にインスタントラーメンは、やっぱり不向きなんじゃないでしょうか?
      美味し過ぎて、ついついスープまで全部飲み干しちゃって!
      これじゃあちっとも減量できませんよねぇ。

  3. 私の実家では チキンラーメンを食べた事がなかった気がします。
    いつも置いてあったのは 写真の出前一丁と塩ラーメン。私は いつも出前一丁ばかり食べてました。
    多分 両親それぞれの好みのラーメンだったんでしょうね。
    出前一丁に付いてる あの ごまラー油! 入れるのと入れないのとでは大違いって言うぐらい 良い仕事をしてくれるんですよ〜(笑)

    1. あのごまラー油の風味がこれまた俄然食欲を誘ってくれましたものねぇ。
      ぼくも出前一丁の方が、素朴過ぎるチキンラーメンより、やっぱり好きでした!

夢ちゃん へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です