飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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これだけ寒波が居座り出すと、風邪やインフルエンザが流行し出すものですよねぇ。
皆様も風邪やインフルエンザにかからずに、健やかに新年をお迎えくださいね。
ぼくは寒暖差アレルギーで、鼻グシュとくしゃみに悩まされ中です。
子どもの頃、風邪を引いて町医者に行くと、こんなガラス瓶に入った甘っこい水薬をいただいたものでした。
瓶の脇に刻まれた目盛りを指先で抑え、1目盛りに達する量を飲んだものです。
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まだまだ甘いものが何よりのご馳走だった時代、指先で抑えた1目盛りよりもついつい余分に飲んじゃったりして、最後の方になると量が減りすぎ、目減りしちゃったものです。
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そしてもう一つ、こんなアクプルに入った飲み薬も処方されたものでした。
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紙の薬袋の中には、こんなアンプルが数本と、アンプルのガラスの首を切る、ハート型をしたアンプルカッターが入っていましたねぇ。
ぼくはお母ちゃんかお父ちゃんに、アルプルのガラスの首を切ってもらい、細いストローで飲んだものです。
でもガラスの首を折った時、ガラスの細かい粉がアンプルの薬の中に入っているような気がして、いつもオッカナビックリだったものです。
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市販の風邪薬も、当時はこんなアンプルの物が多かったようです。
今じゃあ注射液でもアンプルを見かけなくなっちゃいましたよねぇ。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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この風邪の水薬、近所の診療所で風邪の時にもらってました! 入れ物は流石にガラスではなくてアクリル樹脂でしたが、ちゃんと目盛が付いていて計って呑むようになっていました。色は茶色で、甘ったるいアノ懐かしい味! この診療所も、先生が体調を崩して今はなくなってしまいました。
ぼくもアクリルの容器を覚えています。
いまじゃ、咳が出て眠れないようなときは、ブロン駅を小さな計量カップになみなみと注ぎ入れ、一息に飲んでいます。
あの、独特な甘ったるさって、結構好きな気がします。
Mee Two!
メモリ付きのシロップ懐かしいです。
オカダさんのお話を読んでいたら (なみなみと注ぎ入れ)そんなに注いでと 説明書を読んでみたところ 私、長年にわたりブロン液の飲み方を 間違えていたことに気がつきました。
養命酒で酔ってしまうのでメモリ少なめに飲んでいたので ブロン液もメモリをふたメモリで飲んでいました。勉強になりました。
ぼくも咳き込むと、ついついブロン液に頼っちゃってます!ぼくなんて相変わらず目分量で、良い頃加減なものです!