「昭和Nostalgia」(252)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和も第4コーナーを回った終盤のバブル時代には、夜の町のあちこちでこんな感じで酔いつぶれているサラリーマンを見かけたものでした。

かく言うぼくも、街角でこんな風に寝たことはありませんでしたが、何度か電車の中で寝てしまい、降りなきゃいけない駅を寝過ごし、反対側のホームで戻りの電車に揺られ、またもや寝入ってしまい降車駅を通り越し、またもう一度反対側のホームの電車に乗り込んだはいいものの、凝りもせずまた降車駅を乗り越し、ついには終電で終着駅の豊橋まで眠り込んでしまったことがありました。

結局豊橋駅近くのサウナで一晩過ごしたものでした。

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こんなネクタイを鉢巻きにしたサラリーマンも、そこら中で見かけたものでした。

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ジュリアナ東京でしたっけ、ディスコで酔いしれる若者たちも多かったものでしたねぇ。

って、こんなぼくでも3回ほど、ディスコに行ったことがありました。

しかし!

なんせ踊り音痴のぼくですから、ダンスフロアへ足を踏み込めるはずなど到底なく、遠巻きのテーブル席で黙々とグラスを傾けるばかりでした。

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こんな光景も、今となっては懐かしいばかりですねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(252)」への2件のフィードバック

  1. 80 年代後半。タイルの会社に就職して、多治見から名古屋へ通うサラリーマン生活を暫くしました。仕事の後は、先輩方と飲みに繰り出して、最後は今池のサウナか、先輩のアパートで泊まる日々でした。懐かしい‼️

    1. 昭和を生きた誰しもが、そんな時代の中で喘ぎながら生き抜いたものでしたねぇ。

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