「昭和Nostalgia」(250)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和の時代のウー〇ーイーツとでも言ったらいいでしょうか?

鮨屋にうどん屋、中華飯店などの店員さんが岡持ち下げて、自転車や徒歩で出前をする風景って、お目に掛れなくなってどれくらい経つのでしょうか?

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岡持ちの跳ね上げ扉の蓋が空くのを、固唾を飲むようにして、眺めていた遠い日。

わが家で出前を取る時なんて、それこそお客さんのあった時くらいなもの。

出前が届くだけで、非日常的そのものだったものです。

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わが家の周りでは、こんな曲芸じみたお蕎麦屋さんの出前は見かけられませんでしたけど、なかなか圧巻ですねぇ!

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うどんやラーメンなどの汁ものの出前には、こんなスーパーカブの後部に、岡持ちを水平に維持する装置が付いていたものです。

こんなことを想い出していると、なんだか無性に、出前の中華そばが食べたくなっちゃいましたー!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(250)」への4件のフィードバック

  1. ウチは、なかなか出前を取った記憶はありませんが、ス─パ─カブといえば、クリ─ニング屋さんが出入りしていました。荷台に沢山の服を載せて町内を走り回っていました。

    1. クリーニング屋さんに新聞配達さん、そして牛乳屋さんでも、スーパカブは大活躍でしたよねぇ!

  2. 飛騨での取材 お疲れさまでした
    鯉のお引っ越しを済ませた瀬戸川は雪景色でしたか?
    美味しいお酒もた~くさん呑まれたんでしょうね (#^.^#)

    ★これは『おかもち』って言いませんでした?? 

    幼少のころ 実家近くには 支那蕎麦屋さんやうどん、蕎麦、丼等の食堂があったので 毎日 おかもちを持って自転車でスイスイ 走り回っていましたよ

    実家もご近所さんだけに出前をしていましたが 寿司桶を風呂敷に包み、歩いてお届けしていました

    Uber 〇〇 『今なら2000円off』なんてコマーシャルしているので、 いつか、いつか?? 挑戦してみたいです

    1. 「おかもち」って呼んでましたよねぇ。
      でも、なんで「岡持ち」って言うのかが気になって、ちょつと調べてみると、「そうだったんだぁ!」と67にもなって新たな気付きが得られました。
      「岡持ち」の「岡」、つまりぼくの苗字の「岡」は、「岡目八目」とか「岡惚れ」同様に、脇や傍らを意味するんだとか。
      「傍ら(岡)」の家に持ち運ぶことから、「岡持ち」だそうです。
      元々は、田植えに用いたり、摘み取った草を持ち運ぶための籠を「岡持ち」と呼んだようです。
      さすれば、ぼくの苗字の「岡田」は、まったくもって「田んぼの傍ら(岡)」に住んでいたって事なんでしょうねぇ。
      明治の御代になって苗字をいただけることとなり、ぼくのご先祖は「田んぼの傍ら(岡)」に住む民として、「岡田」を冠したんでしょうねぇ。

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