「昭和Nostalgia」(249)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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子供の頃の木製風呂桶の時代には、こんなヘチマの束子で体を洗ってもらったものでしたねぇ。

ちょっぴり痛気持ちいいって言うか、こそぐったいとでも言うか、ぼくはヘチマの束子が結構好きだったものです。

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そう言えばお風呂が湧いたら、こんな木製の湯かき棒でお湯を掻き混ぜたものでしたねぇ。

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草津の湯もみとは大違いでしたけど!

わが家のお風呂では、沸いたばかりの温度の高い湯と、ぬるい湯を混ぜ合わせ頃合いの温度にしたのに対し、草津の湯もみは源泉の温度の高い湯を湯もみすることで、湯温をを下げるんだそうですから全く持って大違いです。

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そして洗い場には、やっぱり木製の椅子と木桶もあったような?

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銭湯ではこんな、お馴染みケロリンの洗面器が、浴場の入り口に山積みになっていたものでした。

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そして風呂場の壁には、こんなお風呂掃除用のバスシューズが吊り下げられていたものでした。

いずれもお父ちゃんとお母ちゃんがいた、昭和半ばのお風呂場のわが家の風景だった気がします。

よしっ、今度100均でヘチマの束子を見かけたら、絶対に買ってみよっと!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(249)」への2件のフィードバック

  1. 我が家には、ヘチマの簀子はなかったなぁー。小学生の時に、ヘチマの生育の観察日記を付けた記憶がありますが、、。

    1. なかなか垢が落ちるくらい、スッキリ感が味わえた覚えがあります。
      なんせ天然素材ですものねぇ。

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