「昭和Nostalgia」(195)

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの★P20裏表紙のコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も山本久恵さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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秋が日に日に深まり出すと、無性に裸電球の黄色い光が思い出されて仕方ありません。

これから晩秋ともなり、釣瓶落としに日が暮れようものなら、どうにも裸電球の暖かな灯りが偲ばれてならないのです。

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蛍光灯やLEDの灯りとは、やっぱりどうにも違うのです。

きっと子供の頃の、心細かった秋の夕暮れを思い出すからかも知れません。

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その日は夕暮れ近くに、お母ちゃんが内職の仕事の関係で出掛けてしまい、一人っ子のぼくはそれこそ独りぼっちで留守番をしておりました。

段々と日が暮れ始め、部屋の中もどんどん薄暗くなってゆき、心細さとお母ちゃんのいない寂しさが相まみれ、言葉にならないほど不安な気持ちに包まれ、薄暗い部屋の真ん中で膝を抱え項垂れたまま泣き出してしまっておりました。

メソメソすればするほど、余計に哀しくなってしまい、ついに声を上げて泣き出してしまったのです。

でもその時でした!

「なに泣いとるんや?」とお母ちゃんの声がしたと同時に、裸電球の暖かな光が燈ったのです。

あの柔らかく包み込んでくれるような裸電球の灯りは、きっと生涯忘れる事の出来ない、何よりも尊い灯りだったのです。

でももう、どんなに泣こうが喚こうが、お母ちゃんの声がして裸電球が灯されることなどありません。

だからこそ、より尊い灯りに思えるのかもしれません。

そうかぁ!だからかぁ!

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ついつい赤提灯の灯りが恋しくなるのはぁ!

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(195)」への2件のフィードバック

  1. この違いは、レコードとCDの違いにも通じるような。やはりレコード&裸電球やね!
    今の街灯は全体が明るいのは良いのですが、冷たい明かりですね。

    1. ですよねぇ。
      あの裸電球の何とも言えない優し気な光がどうにも好きでなりません!

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