Liveのお知らせです!
10月20日(日) 12:00~12:50に、〒500-8267 岐阜市茜部寺屋敷2丁目43番地のおひさまの杜の特設ステージで、「おひさままつり~KIRINBEER PRESENT’S オカダミノルおひさまLive」が開催されることとなりました。
入場無料です!ぜひぜひ、皆様お誘いあわせの上、ご来場ください!
※詳しいことは、後日お知らせいたします!
会場は☟こちらです。
アクセス | 株式会社 ハートコンサルタント (ohisamanoegao.com)
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

こんな駄菓子ってご存知ですか?
ぼくは微かに記憶がある様な気がします。
原材料は澱粉、砂糖、ゼラチン、寒梅粉(餅粉)、着色料、香料、クエン酸で、澱粉は片栗粉(ジャガイモの粉)が使用されているとか。
でもぼくが鮮明に覚えているのは、このお菓子の方ではなく、板状の薄い折り紙くらいの大きさのべっこう飴に、動物などの抜型が細工されていて、それを舐めたり噛んだりして、抜いてゆくと言うものでした。
ところが途中でパリンっと割れてしまい、後はやけになって噛み砕いて食べたものです。
色々調べていて、やっと大阪にあるカタヌキ菓子の㈱ハシモトさんのHPに辿り着きました。

その会社さんの歴史を拝見すると、「始まりは戦後、私の先々代がべっこう飴からヒントを得て、より薄く延ばしヌキ飴という絵模様の入った商品を開発しました。聞いた話によると、飴は熱いうちに加工しないと成形ができないらしく、数を多く作るにはかなりの職人技が必要だったそうです。飴は夏など高温・高湿度に弱く、くっつきやすい等の問題があり、商品管理が困難でした。そこで1960年頃に、東京で流行っていたカタヌキを研究し、現在の高温に耐えれる精糖を主にした「カタヌキ」に改良したそうです。
この頃は紙芝居が全盛期で、紙芝居屋さんが大阪だけでも千人以上いたそうです。」とありました。

確かに今思い出しても、べっこう色した折り紙のような薄っぺらな飴で、なんだかとても儚い感じのする駄菓子でした。

飴玉ではなく、板飴とでも言えばいいんでしょうかねぇ?
ともかくもう現代には存在しえない、幻の駄菓子の一つかも知れません。
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そうだったんですね。そして確かに存在していたところまで辿り着けるなんて 凄いですね。
そして 私はオカダさんのブログで 子供の頃に宵祭りで夢中になっていた「カタヌキ」に出会えました。ありがとうございます。
何だか消え行ってしまう昭和の駄菓子に、とても哀愁を感じてなりません。
調べてみるとカタヌキ100枚セットと書いてあり 数の多さに驚き 懐かしい宵祭りを思い出しています。
カタヌキお好きだったんですねぇ。
でも100枚セットはあまりにも多すぎますよねぇ。