飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

先日の、本物の多治見の高木ともふみさんのコメントに軽トラのお話がありました。
それでついつい思い出がよみがえって来たものです。
このダンプカーの荷台に鈴なりになっているのは、列記とした昭和40年代前半の会社員の通勤風景の一コマです。
今ほど車の交通量も少なかった、昭和40年代前半は、交通ルールも緩く、ある意味何でもありの様相を呈していたものです。

現にぼくも、お向かいのタイル職人だった、サッチャン家のオジちゃんの軽トラの荷台に、みんなして乗せてもらい遠くの公園まで連れて行ってもらったものでした。
そう言えば、インドのコルカタの乗り合いバスには、全く持って肝を冷やしたものでした。
バスは全席満員。
通路も鈴なり。

車内には人っ子一人乗り込めそうにないにも関わらず、低速で走るバスに飛び乗り、ボンネットの上やバンパーにしがみつくもの、窓枠をよじ登りバスの屋根の上に陣取るもの。
まさに命懸けの通勤ラッシュを目の当たりにし、思わず腰が引けたものです。

それにしても軽トラは、大いなる庶民の味方でもありました。
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トラック荷台に人載せ特集、ありがとうございます!
ここにも写真がある、ダイハツ・ミゼットですが、この新型が出た時に、週刊漫画雑誌の広告を見て、思わず欲しくなって衝動買いしたことがありました。
町内の資源回収に夫婦でコレに乗って走り回ったものです。
ただ、正方形の荷台はそれほど積めませんでしたが、、、。
緑色のボディに白い幌を付けて目立っていましたよ~!
まぁまぁ、そんな若き日のご夫婦の想い出がおありだったとは!
仲睦まじいですねぇ!