飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

昭和半ばを駆け抜けた、腕白坊主やお転婆娘の必需品、それが「赤チン」。
ぼくも随分とお世話になったものです。

夏休みともなれば、朝から晩まで宿題なんかそっちのけで、虫取りや草野球に夢中で、転んでひざっ子増を擦りむくなんて朝飯前!

ぼくらおバカな腕白どもは、日焼けの黒さと赤チンの数を勲章の様に、仲間に誇ったものでした。

だから赤チンは、無くてはならない魔法の常備薬でもあったものです。
でももう、昭和半ばの赤チンも製造中止となったとか。
ますます昭和が遠のくばかりです。

赤チンを塗って2~3日もすると瘡蓋に!
しかしついつい治りかけの痒さが我慢できず、瘡蓋の上からかきむしり、せっかく瘡蓋でふさがっていた傷をまた傷つけ、さらに赤チンのお世話になることもしばしば。
日々、そんなどうでもいいような鼬ごっこを続けたものです。

ぼくらの子どもの頃の虫取りタモの柄は細い竹で、その先に番線を丸めたような虫取りタモが取り付けられていたのに、今じゃこんな立派なスチール製とか!

虫かごもこんなプラスチック製のお粗末極まりないものを、首からぶら下げ近所の路地裏を走り回っていたものです。

夏休みに入って、ワンボックスカーで出掛ける家族連れを目にしますが、虫取りタモや虫かごをぶら下げている姿なんて全く見かけません。
確かに公園でもタモを片手に虫かごを首から下げて走り回る子を全く見かけないですものねぇ。
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私も何度お世話になった事か…
塗っても傷口が しっかり見えてしまうので もう気になって気になって(笑)
絆創膏を初めて使ったのが 確か小学校の高学年の頃。夏休みに家族で琵琶湖に行った時 有刺鉄線が足首に刺さる事件が!
そんなに深くなかったので すぐ抜いて水で洗い絆創膏をペタリ。一応 病院を探したけど 夏休み期間だし 今みたいに街が発展してる風じゃなかったので結局そのまま。
何事もなく済みました。
これも時代と言っていいのかなぁ〜?(笑)
確かに、ちょっとした傷くらいじゃ、病院なんて連れて行ってもらえませんでしたよ。
今でも右膝に残る、道端で転んで落ちていたガラスの破片で、3cmほどパックリ切れた時も、お母ちゃんが赤チンを塗ってくれて、ガーゼを貼ってそれでおしまい。
それでもちゃんと治っちゃいましたーっ。