「昭和Nostalgia」(74)

いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

こんな噴霧器の殺虫剤も、昭和の夏の原風景の一つでもあったような?

どこのお宅でも見かけた、無くてはならない夏の必需品でしたよねぇ。

写真は参考

噴霧器に入れる液剤を、こんな瓶からお父ちゃんがよく補充していた姿が思い出されます。

昭和半ばの時代は、銀蠅がわがもの顔で家中を飛び回っていたものでした。

写真は参考

だからどこの家でも商店でも、こんな蠅捕り紙が天井から吊り下げられていましたっけ!

写真は参考

しかし今の子どもたちが目にしたら、いったい何だろうと思うんでしょうかねぇ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【蓬莱本館】2人セット
価格:3,280円(税込、送料別) (2024/2/11時点)


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(74)」への8件のフィードバック

  1. 懐かし〜いです。 参考写真を見るまで すっかり忘れていましたけど 参考写真でいっきに遠い夏の日を思い出しました。
    ありがとうございます

    田舎では このマキマキ(蝿取り紙)ホームセンターでまだ売ってますよ。

    1. あつ~い、昭和の夏の必需品でしたものねぇ!
      蠅捕り紙を吊るしてみたい気もしますが、酔っぱらったら千鳥足で、オデコにベタ~ッでしょうねぇ。

      1. あつ〜い、夏を思い出して この日はめいっぱい頑張れました。
        何で元気になれるか わかりませんね。

  2. あったあった!
    記憶から抹消されてましたわ(笑)
    触ることは許されず見てるだけのものでしたが、
    蠅捕り紙には自ら巻き付いた事件がありましたな。
    殺虫剤では我が家にはエピがありまして、
    ネズミ撃退用の殺虫液がありまして、
    涼しい暗所で保存の事というので考えた親父殿。
    ドリンク剤の空瓶に詰めてご丁寧に冷蔵庫に保存。
    知らないお袋が栄養ドリンクと思い口に。
    激痛が口の中を支配したので吐き出して事なきを得たのですが、
    当然烈火の如く怒る母親に抵抗できない親父殿。
    子供ながらにスゴイ光景を共有したのだと未だ鮮明に残っております。
    雑巾の絞り方を知らない。
    マッチでの火の付け方を知らない。
    ダイアル式電話の掛け方を知らない。
    テレフォンカードって何?
    仕方ない事なのかもしれませんよ。
    だって現代にほぼ存在しないしね。
    最先端のSNSが何だか分からないオジサン。
    同じかな( 一一)

    1. そいつぁー、お母さまは危うし危うしでしたですねぇ。
      お父様もいくら冷暗所で保存とは言っても、冷蔵庫とは!
      せめて瓶のラベルに「毒」とでも書いておられたら、お母さまの逆鱗に触れずにいられたかもですねぇ。

  3. 思えば、ハエと共存していた時代。何といっても便所が汲み取り式だったことが大きいですよね!
    でもアレルギーとかは少なくて、我々人間の免疫力・抵抗力も強かった?

    1. 仰る通り!
      なんせお腹の中に蟯虫まで同居していたような、今とは比べ物にゃあならないほど、今の人からしたら不衛生だったのが昭和半ば。
      でも益虫としての役割を、多少は寄生虫も担っていたような、そんな気にさせられちゃいます!

okadaminoru へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です