「昭和Nostalgia」(58)

いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」『小学校の想い出シリーズ⑮』はコチラ!

写真は参考

小学3年の時に、隣の席の女の子が赤痢にかかったことがありました。

そりゃあもうクラス中どころか、学校中が大騒ぎ!

ぼくなんてお隣の席に座っていたんですから!

とにかく担任の先生が、「赤い血の付いたウ〇チが出たら、赤痢が疑われるので、申し出る様に!」との事。

その日は、確か1時限目で、みんな下校させられたと記憶しています。

家に帰ると赤痢患者の近くの席に座っていた生徒の家に、保健所から係りの人が来て、わが家のいたるところに消毒薬を巻かれ、近所の方々になんだか白い目で見られたような!

写真は参考

ちょうどその日、昼前に下校すると、わが家のボットン便所の汲み取り口が開いていて、バキュームカーの汲み取りが回って来る日でした。

写真は参考

写真の左下の木枠の扉のような口が空き、そこへバキュームカーの太いホースが差し込まれ、肥え甕の中を奇麗さっぱりと吸い込んでくれたものでした。

確かバキュームカーの太いホースの口先には、作業が終わると草野球でお世話になった国際ボールがスポッと嵌められていましたねぇ。

写真は参考

ぼくは夏休みの間とか、バキュームカーが来て、汲み取り口が明けられ、外の光が肥え甕に差し込むのを、ボットン便所の中から眺めるのが楽しみの一つでした。

だから赤痢事件で1時限目で家に帰った日も、わが家のボットン便所から、陽が差し込んだ肥え甕のわが家の作品を眺めていたものです。

するとどうでしょう!

なんと赤いウ〇チのようなモノがあるじゃないですか!

「あああっ!」

でも犯人がぼくじゃない事は確かです。

だって用を足してお尻を拭くと、ぼくは必ずそのチリ紙をチェックする癖があり、拭き残しが無いかを確認していたからです。

となれば、3人家族のわが家、犯人は父か母と決まっています。

とても心配になり、すぐさまお母ちゃんを問い詰めました。

すると「はぁ~っ?そんなもんお父ちゃんに決まっとるわぁ!」とケンモホロロ。

夕方父の帰宅を玄関前で待ち伏せ、問い詰めました。

すると「???はぁ~っ、そんなんお父ちゃんやないでぇ」と。

結局幸いにもわが家から赤痢患者は出ることも無く、クラスメイトにも感染せず、なんとか凌げたものでした。

そしてそれから中学へと進学し、保健体育の授業で、その謎が解明したものでした。

参考

とは言え、そんなこと今更お母ちゃんの前で蒸し返すなんて、とてもとても出来ませんでしたけどねぇ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【蓬莱本館】2人セット
価格:3,280円(税込、送料別) (2024/2/11時点)


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(58)」への4件のフィードバック

  1. 物心が付いた頃には水栓トイレだったと思います(都会ですから)笑
    でも、近所にはまだボットン便所のお宅もありバキュームカーが来てましたよ。 田舎に泊まってボットン便所だった時、下から手が出てきたらどうしよう!って思った事って無いですか?
    子供の頃は怖わかったなぁ(¯―¯٥)

    1. ぼくも三重の田舎の従兄妹の家にあった、離れのボットン便所が怖くって仕方なかったものです。
      だから夜中にトイレに行くときは、必ずお姉ちゃんを起こして一緒に行ってもらったものでした。

  2. 幼稚園の頃は 和式トイレで更に 一度 家から出なきゃいけなかったので 二倍の怖さでした。
    小学校入学と同時に引っ越して やっと家の中にトイレがあって…
    水栓じゃなかったけど 嬉しかったなぁ〜。
    5年後の引っ越し先で ようやく水栓トイレだった時は 既に外出先等で体験してたので感激が薄れて。
    でも 毎日使えるんだ〜って嬉しかったですけどね。( ◠‿◠ )

    1. トイレにも庶民の歴史がありますよねぇ。
      その時々の風景の一つとしても。

アオちゃん へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です