「昭和Nostalgia」(49)

いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」『小学校の想い出シリーズ⑥』はコチラ!

写真は参考

こんな給食袋や給食着入れなんてぇのもありましたねぇ。

確か1週間の給食係りが終わると、金曜日の下校時に給食着を家に持ち帰って、お母ちゃんが給食着を洗濯してくれたものでした。

なぜ金曜の下校時に持ち帰ったかと言うと、土曜は半ドンで給食が無かった事と、当時は乾燥機なんて一般家庭にゃありませんでしたから、土曜と日曜の二日間あれば、洗濯した給食着も乾くであろうという、そんな事からだったんじゃないかと思います。

写真は参考

そして日曜日の夕方には、洗い立ての給食着にお母ちゃんが糊を利かせアイロンを掛けてくれたものでした。

それを月曜日に学校へ持って行き、その週の給食当番にバトンタッチした気がいたします。

それと「給食袋」の方には、食べきれなかった食パンを、チリ紙で包んで袋に入れ、持ち帰ったりしたものでした。

写真は参考

そうやって食べ残して持ち帰った食パンは、いったいどうなったんだろう?

お母ちゃんがジャムでもつけて食べたんだろうか?

それともわが家のバカ犬ジョンの餌にでもなったんだろうか?

写真は参考

そう言えば、小学校へ行こうと玄関に立つと、お母ちゃんが必ず「ハンカチとチリ紙持った?」と、呪文のように繰り返したものでした。

チリ紙5~6枚を四つ折りにして、ズボンのポケットにねじ込んで!

昔のチリ紙は粗雑で、今のポケットティッシュのように完成度が高くなく、いざ使おうとポケットからチリ紙を出すと、チリ紙のカスがボロボロッとこぼれ落ちたものでした。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(49)」への6件のフィードバック

  1. 給食袋なる物があったとは!
    レーズンが苦手だったので レーズンが入った食パンやコッペパンを わら半紙に包んで ランドセルに入れて持ち帰ってました。
    帰宅後すぐに出すのを忘れちゃうと 翌日 カピカピに…。
    持ち帰ろうと 机の中に入れて そのまま… な〜んて事もあったっけ。
    銀紙で包まれた ひとくちチーズも いつも持ち帰り 夕食時 父が食べてくれてました。
    給食が終わると 確か一番長い放課の時間!
    好きな物ばかりの時は あっという間に食べ終えて校庭へ。ゴム跳びやドッチボールをしてました。
    放課が終わる合図のチャイムが鳴り響くと みんな一斉にその場で立ち止まり チャイムが止まると教室へダッシュ!
    若いなぁ〜 懐かしいなぁ〜( ◠‿◠ )

    ps. 待ちに待ったLIVE いよいよ明日ですね!
    なんだかソワソワしちゃいます。
    今日は 早く寝なきゃ!
    楽しみにしてま〜す♡

    1. 給食で苦手な食材と出くわすと、確かに食べ終えるまで手間取ったものでした。
      でも気持ちは、早く給食を片付けて、校庭に駆け出したい気持ちが勝り、苦手な食材を息を止めたまま噛み砕き、ゴクリと呑み込んだものでした。

      明日のLiveでお目に掛れるのを楽しみにしておりますね~っ!

  2. 給食袋はあった!
    でも、
    残したパンを持ち帰る袋を指してたかなぁ。
    もち別に大きめの給食着入れの袋もあったよ。
    特に給食袋は各家庭のオリジナル。
    色やデザインはそれぞれでね。
    オイラは無かったよ!
    だって残さないから(≧▽≦)
    何と言っても懐かしいのは、
    アイロンの木箱ケース!
    割と最近まで家にあったよ(^^♪  ケースだけ・・・
    持ち帰りのパンには色々エピがあるよね。
    我母校には授業をしていても接近を感じるほどの悪臭を漂わせる、
    放浪する野良犬がおりましてね。
    数年前に野良デビューした頃でしょうか、
    かわいそうに思った生徒がパンの入った給食袋を犬の首に付けてやったそうで。
    腹が減ったからって犬は給食袋を外して食べれる分けもなく、
    それ以来首に下がってるわけです。
    取ってやりたくても近づけないし近寄れないし。
    卒業して会うこともなくなったけど、
    彼はどうなったのかなぁ・・・・

    1. そう言えば、昭和半ばの頃って、野良犬が結構いましたよねぇ。
      普通の家で飼われている犬とは、明らかに違うただならぬ気配を漂わせていて、容易に近づけるものじゃありませんでしたものねぇ。
      しかしその野良犬の首にパンの入った給食袋をぶら下げた少年は、なかなかどっこい勇気がありましたねぇ。

  3. こんにちは 今日は朝から素晴らしくいい天気です! 盛り上がってますね~「昭和時代の給食」
    給食着袋は今でもありますよ 家も息子が給食当番の時は週末に持って帰ってきて洗濯してアイロンかけて月曜日には持っていくってのは変わらないですね 勿論自分の時もそうでしたね そういえば家は給食の残りは持って帰ってきたことはないな~・・・ 家はお陰様で好き嫌いが殆んどない子なのもあるけど今は「嫌いなものは無理して食べなくてもいい」みたいなので・・・時代はかわってきてますね~ いよいよ明日はライヴですね楽しみにしてますよ♪

    1. そうかぁ、みっくんも小学生だものねぇ。
      でも好き嫌いが無いってぇのは、立派な事だものねぇ。
      きっとよっちゃんとよっちゃん姫の教育の賜物なんだろうねぇ。

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