新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
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今日の「昭和Nostalgia」は、コチラ!
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昭和半ば生まれの子供たちの楽園は、まさにこんな一文菓子屋。
ディズニーランドもUSJも無かった時代、毎日放課後の唯一無二の楽園そのものでした。
一日の小遣い、10円玉を握り締め、何十分も店内を物色し、その使い道に頭を巡らせたものでした。
ぼくが好きだった駄菓子のくじは、「小豆甘納豆」のくじ1回5円でした。
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ぼくの頃は、上部に貼り付けられたオモチャはありませんでした。
小さなポチ袋に小豆の甘納豆が入っていて、袋の中面に「あたり」「はずれ」の印字があったように記憶しています。
まずぼくの小遣い10円の内の5円はこれでキマリ!
残りの5円の使い道を大いに悩んだものでした。でもそのひと時が、これまた至福の時間でもあったものです。
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飴玉の糸引きくじやら、
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黒棒のくじびき。
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夏になると、残りの5円づつを一つ年下のマー君と出し合い、ダブルソーダを10円で買い求め、半分こにしたものでした。
何もかもが懐かしい昭和の残像です。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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さすがにこの辺りでも駄菓子屋さんは壊滅状態。
でも、ウチの子供が小さいころにはまだ健在で、親子2代にわたってお世話になりました。
ボクが子供の頃は、10円・5円のくじ引きもやりましたが、何といっても「仮面ライダースナック」の登場が大きかったデスネ~!
カード目当てにお菓子を買って、お菓子を道端に捨てるという、、、。
自分は絶対にしませんでしたが、当時、全国で社会問題になったと記憶しています。
でもねえ、あれはお菓子が甘くてまずかったからですよ。
プロ野球スナックはサッポロポテト味だったから良かったけど、、、。
ありましたよねぇ。
そんな社会問題が!
「仮面ライダースナック」なるものは、残念ながら一度も口にしたことがありませんでしたが、甘くてまずかったとは、いやはや・・・。
もうちょっと子どもの嗜好に合わせた味のお菓子なら、そんな事にゃあならなかったんでしょうねぇ。
令和の時代でも 昔 懐かしい駄菓子を見かけるけど 私にとっては やっぱり あの当時の建物(お店)や店内の薄暗さや狭さ 子供達のザワザワ感とスリルや ちょっとした緊張感 あと お店のおばちゃん…
これらが全て合わさっての懐かしい駄菓子ですね。
一番好きだったのは マルカワのオレンジフーセンガムです。
小さな箱に丸いガムが5個入ってて 開けた時に【当たり】って書いてあると めっちゃ嬉しかったのを覚えてます。ぶどう味もあったけど やっぱりオレンジ味が美味しかったなぁ〜。( ◠‿◠ )
ありましたねぇ、オレンジフーセンガム!
ぼくも何度も買った記憶がありますよ!
懐かしいお菓子ですね〜
今、思うと 甘いお菓子が好きで ふ菓子や紙に何かぬってあって それをカミカミしたとか ビニールに甘い物が入っていてそれをカミカミしてました。
わた菓子やくじ引き飴にケーキ(ケーキって呼んでましたけどちょっと固いカステラに今でも好きなクリームが塗ってあるだけなんですけど)思い出したらキリがないです♪
ダブルソーダの半分こ 良い時代ですよね。
女の子も男の子も、みんな駄菓子屋の虜でしたものねぇ。