
愛知県と三重県との県境に横たわる、木曽・長良・揖斐の三川が車窓を横切る。

指定席の窓側に座った木乃葉は、座席の上に正座した状態で車窓からの景色を眺めていた。
「幕の内に松坂牛のステーキ弁当、コーヒーにジュースは如何ですか?」。
前方から車内販売の声が聞こえた。

グッググゥー
「あっ、あれ・・・?今鳴ったの、コンチャンのお腹かい?」。
「・・・」。
「そうか、もうすぐお昼だもんな。じゃあちょっと早めに、お弁当でも食べるとするか」。
老人は車内販売のワゴンを止め、松坂牛のステーキ弁当と幕の内弁当、それに缶入りのお茶を買い求めた。

「わしゃあ入れ歯だし、肉は噛み切れんから、コンチャンがステーキの方を食べておくれ」。

「ウッワーイ!コンチャン、ステーキ大好物!お肉だったら一杯いっぱい食べられるんだよ!いつもパパの分まで平らげちゃうんだもの」。
「そうかい、パパの分までなあ。コンチャンのパパは、ちょつと太り気味じゃから、ステーキでこれ以上栄養付ける必要もないからのう」。
「ええっ!おじいちゃん、コンチャンのパパ知ってるの?」。
「うっ・・・ううん。いっ、いやきっとそんな気がして・・・さあ、そんなことはどうでもいいから、温かい内にお食べ」。
「うん!」。
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昔、乗った近鉄特急には柿の葉寿司も販売されていた記憶があります。ところで、ご老人はオカダサンのご尊父さまではないでしょうか。今回のお話で確信した次第です。
鋭いですねぇ!
ちょうど娘に明朝新聞のハガキを送っていた頃、認知症だった父は特別養護老人ホームのベッドから落ちて、脳挫傷になって意識不明のままICUに入っておりまして、意識が回復することはないであろうと医師から聞かされていたそんな時代でした。
だから娘への明朝新聞では、娘のお友達や命の灯火を燃やし尽くさんとしている父にも、登場いただこうと思っていたのです。
木曽 三川・・
昔、長島スパーランド「ジャンボ海水プール」へ行く時の通過点で
道路を走っているぶんには分かりませんが
こう写真で見ると、ホント三つの川があるんだな~~ぁ⤴
と、綺麗でイイ感じです!
木曽三川の護岸改修工事に薩摩義士たちが多くの犠牲を払って下さったことを、母の故郷が鹿児島と言う繋がりと、第二の故郷岐阜、そして父の故郷三重を想うと、ついつい他人ごとじゃない気がしちゃってなりません。
だからこそ、両親の墓所を月見の里の近くの高台の霊園を選んだほどです。
それが好きだって言う人もいるでしょうが、子供の頃は駅弁の折りの匂いの付いたご飯が苦手だったなぁ。
確かに人それぞれ、匂いに関しては異なるものでしょうねぇ。
家なんてお母ちゃんが炊飯器からお櫃にご飯を移して、そこから朝昼晩とご飯をよそってくれていた気がします。
ぼく的には、駅弁の木の折もお櫃の木の匂いも苦にならず、むしろ好きな方でした。
オカダさんの源なのですね。海津市から三重県北勢および中勢は。懐かしいのですね。ウチは親父と娘の交流はあまりなかったです。ワシは、自分の孫娘は可愛いのですが。
お孫さんってぇのは、子どもとはまた違った可愛らしさを抱くものなんでしょうねぇ。
ぼくはまだ孫と接した経験が無いものですから、そんな日が来たら果たしてどう接して、どんな想いを抱くのか、期待半分不安半分ってぇところです。