「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」開催決定!!! ~おつまみは各自1品持ち込み、みんなでシェアー~

●日 時:2023年 4月16日(日)
14:00開場、14:30頃開演、16:00頃終了
●会 場:MUSIC & BAR 『C♭』
岐阜市神田町7-7-3 神田セブンビル 2F 058-266-4477
●出 演:オカダミノル & ヤマもモ(友情出演)
●参加費:お一人様Live Charge \4,000-(「キリン・一番搾り」「キリン・氷結レモン」「キリン・ホワイトホースハイボール」「キリン・グリーンズフリー(ノンアルコールビルー)」の飲み放題)*感染症予防への取り組みで、缶商品でのご提供となります。
*ソフトドリンクをご希望の方は、「C♭」で1ドリンク500円でご注文いただくことも可能です。またソフトドリンクの持ち込みも可能です。
*おつまみは参加者各自1品持ち込みで、みんなで持ち寄ったおつまみをみんなでシェアーしていただきます。(おつまみは、自作自慢の1品でも、スーパーのお惣菜でも、市販のコンビニおつまみや、缶詰とかお菓子類でもOK)
*参加者全員に、KIRIN BEERさんからのお土産もご用意いただけます!
●定 員:30名(全席自由席)
●申込み:メールで、herakozu@yahoo.co.jp「オカダミノルほろ酔いLive 2023」係まで。*万が一キャンセルの場合は、必ず2023年 3月31日(金)17:00までにメールでご連絡願います。その時点を過ぎると、全額負担とさせていただきます。
●締 切: *先着順、定員となり次第締め切り
●問合せ:herakozu@yahoo.co.jp
●主 催:オカダミノルほろ酔いLive実行委員会
●協 賛:KIRIN BEER
*Live終了後はオカダミノルもご一緒させていただき、二次会打ち上げパーティーを開催いたします。(*二次会のご飲食代は、別途実費精算となります)ご希望の方は、お申し込み時に「二次会出席希望」とお書き添え願います。二次会参加者人数が確定した段階で、詳細の参加費が算出されるため、参加者人数確定後に参加費のご連絡を申し上げます。
「実はなぁ、お前にゃあ兄さんと姉さんがおったんや」。
父は特別養護老人ホームのソファで、いきなり切り出した。

中指と人差し指の間で、紫煙がくゆり、長く伸びた灰が音も無くポトリと落ちた。

喘息持ち父は、医師から喫煙を禁じられていた。
ぼくは父を訪ねる度、それを承知で煙草に誘った。
その度父は、悪戯っ子のように、嬉しそうな眼差しを向けた。
田舎生まれの父は、青春の大半が貧しさと戦争に蝕まれた。

戦後は、この国が見事に復興を遂げる狭間で、身をボロ雑巾のようにして働き詰めた。
何も望まず、多くを欲せず、ひたすら母とたった一人の息子を育てるためだけに。

蝉の抜け殻のように背を丸めた父は、遠くを見つめていた。

<今日は、どうやら雨かな>
いきなりの告白に、ぼくはそう感じた。
76歳の父の痴呆は、4年前から3歩進んで2歩下がるを繰り返していた。
痴呆の症状は、日によって現われ方が異なった。
ぼくと妻は、それを天気になぞらえた。
澱みない会話が成立する日は快晴。
全く意味不明な状態を、ドシャ降りと称した。

今思えば、せめてもの父への尊厳だった。
やはり実の息子としては、痴呆を心の何処かで認められずにいた。
「何ていう名前だったの」。
父のドシャブリに、ぼくは付き合う決心をした。
「兄の名が、奥田□×◎、姉が□△○」。
父の震える指先が、空を這った。
完璧な表記だった。
しかしぼくの姓は岡田だ。
思い過ごしか。
やはり父は、ドシャブリの中を彷徨っているようだ。
まだぼくはそう感じていた。
父は遠くを見つめながら、話を続けた。
戦地から引き揚げて直ぐ、口減らしも兼ね津市に婿養子に出された。
そして二人の子を儲けたが、訳があって離縁し、その後、ぼくの母と再婚したという。
雨はどうやらぼくの気のせいだった。
むしろ雲ひとつ無い、日本晴れそのものだった。
「ワシが逝ってしもても、お前は一人ぽっちやない」。
父は燃え尽きた煙草を、灰皿で何度も揉み消した。

「家族みんなと味ようやりや」。
生涯抜けることの無かった、故郷訛りで、父はぼくに念を押すよう呟いた。
それから程なく、父は施設で睡眠中のベッドから落ち、脳挫傷で帰らぬ人となった。
「ありがとう、お父さん」。
そう言う間も無く、そそくさと母の元へと旅立った。
良いことなど数えるに足りぬ、父の人生。
争うことを嫌い、人を恨むことを嫌って、ただただ不器用に、最後まで「味よう」を身上に通した父。
「ありがとう、お父さん。ぼくは味ようやってるよ」。

パナマ帽を被った父の遺影に、ぼくは手を合わせ、火を灯した煙草をそっと供えた。
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お元気そうで何よりです。コロナの上にも3年⁉︎ 今年になって全く音信の無かった旧友からの便りにほっこり。岡田君もその一人、そして高校時代3年間一緒に電車通学したアノ奥田君と半世紀ぶりに通勤電車がまた一緒に。。。
私にとって、ヒトの繋がりはしがない生き様の究極の財産と思う最近です。
奥田君かぁーっ!
懐かしすぎーっ!
でもお元気そうで何より何より。
私はいつも嫁に言っているのが
私が認知症になったら施設へ入れてくれと
普段ただでさえ迷惑をかけているのに
いくら夫婦と言えども自分自身を犠牲にしないで
私を施設に入れて、後は嫁に好きな事をやって欲しいと・・
まぁ⤴なんと出来た婿殿でしょうか ❢
本当にそう思うんです。
ぼくも遺言を認めています。
葬儀は、お坊さんも呼ばず、戒名も無し。
骨揚げした骨をちょっとだけ粉砕して、長良川へ流して欲しいと。
息子達と出会って…
5, 6年前からの両親の姿を見続けて…
本当に思う。
脳は不思議だ!未知なる世界。
でも パズルのピースように こちら側と相手側が本当にカチッとはまる瞬間の嬉しさや楽しさと言ったら( ◠‿◠ )
「味ようやりや。」
そう!正にその瞬間 お互いの昔と今とが見事にはまったんじゃないでしょうかね⁈
(ウルウルしちゃいます)
味わい深い人と人との関り。
味のある表現。
旬を味わう。
ぼくものらりくらりと、あんじょうやっていきたいものです。
PS. Happy Valentine
Li v e 楽しみにしてます♡
エアーのバレンタインチョコって、虫歯にならないし糖質過多にならなくって、それこそ味わいのあるものですねーっ。
ありがとうございます。
母は6年前に特養のお世話になりました。それ以前の5年間は在宅でした。父は不安が募ったのでしょうか、母の認知症が分かった頃から、専横的なふるまいが目立ち始めました。と、同時に認知症を発して去年入院、一年ほど経て他界しました。親孝行なんて出来るものではない、と思った私です。また、親の入院にホッとしたのも事実です。自分も、まもなく健康寿命はつきましょう。子供には迷惑はかけたくない、事切れたら岐阜大学に連絡して遺骸を持ってってまってと、家族には伝えています。
ぼくは唯一独りきりの娘へ、遺言場を認めようと思っています。
葬儀も、戒名も、両親の墓への遺骨収めも必要なし。
娘夫婦が仲良く幸せであれば、それだけでいいと。
やがて逝く道ですものねーっ。
満員列車の混雑ぶり。むかし、山に行く際に利用した夜行急行がひどく混んでいたことを思い出しました。また、夏の北海道に行った時、札幌から稚内まで夜行急行の自由席に乗りましたが、これは、必殺の混雑状況で床を寝台にしているのは当たり前、トイレにも人がおってひたすら我慢でした。
今と違ってなかなかマイカーでとか、レンタカーでって時代じゃありませんでしたものねーっ。
でもぼくは、今の様に殺伐とした時代を招いたのは、マイカー文化だったんじゃないかと思えてなりません。
何故ならば、マイカーの中では、家の中同様、家族が勝手気ままにいられるんですから。
公共交通機関で移動せねば無かった時代と違い、公共でのマナーを学ばせる機会すら、大きなお世話な時代と成り果てている気がしてなりません。