深戸駅界隈「元台に刻まれし釣師の誉れ『福作』銘~天下の郡上竿」
深戸駅のすぐ南を、長良川が悠然と西から東へと流れる。

何千年、何万年と、何一つ変わらぬ、大自然の営みだけが、ただ淡々と繰り返されているのだ。
「あかんて!そんなへっぴり腰じゃあ!」。
川の流れに合わせ、友釣りの竿を操っていると、背後から突然声がした。
「あんた、友釣り初めてやろ?」。
何と厚かましい不躾な声。

声の主を見定めてやろうと振り返った。
「鮎にはな、鮎の縄張りってもんがあるんやて。そこを狙わんと、ただオトリ鮎を流れに合わせて泳がせとっても、鮎は一向にかかれせん。鮎の縄張りに、新参者のオトリ鮎を放り込んだるで、オトリの鮎を駆逐しようと体当たりしてくんやで。そこを逃さんようにグッと引っ掛けたらんと」。
そう言うと男は川の中へと入り込み、徐に竿を延べた。
するとどうしたことか、川面に銀鱗が跳ね躍り、あっと言う間に友掛けされた鮎が吊り上げられるではないか。
名人はわずかな間に、事も無く3匹を吊り上げた。

すると身を翻し、さっさと河原へと引き上げ、釣竿を仕舞い始める。
ポーン、ポーン、ポーン。
端切れの良い音と共に、7メートルはあろうかと思われる竿の継ぎ手がばらされた。
「カーボン製じゃないんだあ」。
思わずつぶやくと「これはわしが作った、四間もんの郡上竿やさ」と名人。
漆が飴色に輝く郡上竿には、絹糸を巻きつけて描いた、幾何学模様が織り成されている。

「よかったらわしの作業場へ来るか?」。

名人の名は、二代目竿師の福手福雄さん(74)。

釣り好きで鳴らした先代の俵次は、昭和初期、関東の釣客が携えた、組み立て式の竿を真似郡上竿を編み出した。
「ちょうど戦争の影が忍び寄る中、今のように真鍮が手に入らんもんで、継ぎ手には空き缶を巻いて使ったんやて。それでもここらの皆は、『わしもわしも』言うて、空き缶持参で並んどったほどやで」。
先代に劣らず大の釣好きである福雄さんは、中学を出るとすぐ、迷うことなく父と共に竿作りを始めた。
「昔は鮎も値が張って、竿もよう売れたんやて」。
鮎の禁漁期は竿作り。
解禁を待ち侘び、友釣りでもう一稼ぎ。
「まあ、竿作りの準備は、10月初めに竹を切り出し、11月に入ったら大きなトタン板の鍋で、灰入れて竹を煮て油取りをするんやて」。
年の瀬は天日干しに追われ、年が改まったころに竿作りが始まる。
「やっぱり竹選びが肝心やて。はよ出る竹は重いし、遅いと軽なる。枝が3つ出たところで切り出すのが一番やさ。あんまり竹もみあいて(ひねて)まうと、撓りが悪なるで」。
材を見抜く、竿師の目は厳しい。
まず四間物の5本継ぎは、「穂先」「穂持ち」「三番」「二番」「元台」と組み、管継ぎを定める。

次に真鍮を何度も火で炙り、真っ直ぐ伸ばして2枚重ねにし、継ぎ手を取り付ける。
そして絹糸を何度も何度も竿に巻き付け、漆で留めて柄を描き出す。

さらに元台には、藤蔓を滑り止めに巻き付ける。
「1本の竿に、900メートルも絹糸巻いたこともあったわ」。
作業場に人が入ると、気が散って糸が緩むため、入り口を締め切ったまま黙々と作業を続ける。
「どうや、これ?」。
福雄さんは、自慢の柄の入った竿を取り出した。
飴色に輝く光沢と、絹巻き模様が絶妙な、竿師の描いた意匠。
そして元台に刻まれた「福作」の銘。

友釣りに魅せられし者の、垂涎の逸品であろう。
しばらく美術品と見紛うほどの、美しさを放つ竿に言葉を失い見入ってしまった。
「そんでも使わな、何にもならん。所詮、魚釣りの道具なんやで」。
福雄さんは何の気負いも無く、あっけらかんと笑った。
今ではカーボン製の竿が主流となり、1年で50本の生産がやっととか。
「そんでも鮎の友釣りには、やっぱり竹竿が一番。でももう跡継ぐもんもおらんで、わしで仕舞いやわ」。
作業場から見下ろす長良川の流れ。

誰よりも長良川と鮎釣を、心から愛し続けた竿師親子二代。
かつて日々の糧を得るための釣道具は、いつしか美術品と呼ばれるほどの美しさを手に入れ、やがて儚く消え入ろうとしている。
郡上釣竿製造フクテ 郡上市美並町三戸
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
釣り竿片手に
日向ぼっこしながら、竿先を眺めのんびりと
釣れなくてもそんな一日があってもイイと思う!
グロテスクなエサはダメだけど疑似餌なら大丈夫
でもさ~ぁ⤴
一人で行くのも寂しい・・
丘釣りだって引き立て役が居ないと
何だか?シラケるもんねぇ!
魚釣りは、娘が幼い頃に滋賀県の釣り堀で、マス釣りをしたのが最後ですねーっ。
そもそも子どもの頃から、苦手な部類でした。
でも子どもの頃は、父の自転車に二人乗りして、近くの川へ鮒釣りに出掛けたものでした。