美濃駅界隈「卯建つは上らねど『チキンのり巻き』揚げて、はや八十四年」
卯建つの昔屋並みを西に過ぎた、町外れの食堂。

家族連れがひっきりなしに、店先の暖簾をくぐる日曜の昼下がり。
「チキンのり巻き五人前ね」。
「あっ、こっちは三つね」。
客は席に陣取ると、メニューに目をやるでもなく、我先にと「チキンのり巻き」を所望する。
「家の名物やでね。『チキンのり巻き』は。衣にパリッとした海苔が載せてあって、昭和2年の創業から続くヒット商品なんやて」。

美濃市の美濃食堂。
二代目店主の古田省三さんは、白い調理師帽を取りながら笑った。
初期のビートルズのように、襟首辺りまで伸びた白髪が、画家か音楽家のようだ。
名物「チキンのり巻き」は、何と言ってもその柔らかくマシュマロのような、ふんわりとしたササミの食感に尽きる。
「ササミが新鮮なのは当たり前。衣に対するササミの厚さが、これぞ一番のポイントなんやて」。
小麦粉と卵に秘伝の材料を加えた衣で、ササミを包んで海苔を載せて揚げただけの代物。
とは言え、家に帰ってどんなに真似てみたところで、美濃食堂のチキンのり巻きとはいかない。
それが84年の歴史だと、改めて思い知るのが落ちだ。
「海苔のパリッとした食感と、見た目の艶が何とも食欲をそそるんや。なあ、和ちゃん!」。

客席の後片付けに追われる妻の後ろ姿に、省三さんが笑いかけた。
仲睦まじさに感心していると、「ぼくらまだ新婚間もないんやて」と。
ってことは、省三さんが67歳で結婚した勘定になる。
そうとあっては、何が何でもその馴れ初めを知りたいと願うのも人情。
「えらいおそがけに春が訪れたようで」と、ひやかし半分に水を向けた。
すると省三さんは、一瞬顔を曇らせた。
何でも平成14(2002)年に、家族を支え続けた先妻を失っていたという。
「すっかり落ち込んで、息子も店畳んだらどうやって。でもぼくは父が作ったこの店の暖簾を、まだ降ろしたくなかったんやて。それに孫の守して、自分自身の生甲斐を失いたくなかったし」。
張り合いも連れ合いも失い、抜け殻状態のまま店を続けたという。
しかしその4年後、夏風邪を拗らせ肺炎で入院する騒ぎに。
医師から息子と旧知の和子さんが呼び出され「何時息が止まるかわからん」と無情な宣告が下された。
直ちに専門の医療機関へと転院。
「もうあかんと思って、彼女に頼みこんだんやて。『仕事辞めて、ぼくの看病してくれんか?』って」。
それが67歳のプロポーズだった。
しかしその後、再検査を試みると、何処にも異常が見当たらない。
「人生捨てたもんやないって。嫁は来てくれるし、病気も治ってまうんやで。なぁ、和ちゃん!」。
美濃食堂の「チキンのり巻き」は鶏ではなく、もしかしたら鴛鴦なのかも知れない。
美濃食堂/美濃市米屋町(2011.9.13時点)
※美濃駅を背に北へ。広岡町の交差点を越え一本目左側
※余談/隠れた逸品は、腹開きの鰻の蒲焼き。80年以上継ぎ足された濃厚のタレが、パリッと焼き上がった蒲焼きを、その旨味で包み込む。県内の川魚問屋で仕入れる活きのいい三河一色産の鰻は、先代から80年以上続くという取引だけに、問屋の目利きが選び抜いた鮮度と質の良さは天下一品。
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ココ入ったコトあります!
良い所でしたあ~!
ぼくも取材後、2~3度、チキン海苔巻きを食べに伺ったものでした。
チキンの海苔巻き・・
美味しそう、鳥はイイよねぇ!
高タンパク低カロリーだから
初めて「ケンタッキー」を食べた時の
あの美味しさ、思わずつぶやいたねぇ
カーネル・サンダースさん
ありがとう!
でもさ~ぁ⤴
歳には勝てないねぇ、若い時、3つ4つ食べれられたのに
今じ~ゃ⤴2つ目に手が出ない・・
いやいや、ぼくも同感です!
ビールプッハァ~でも、さすがに1個が限界ですねーっ。
ぼくの友人は、あのバケツのような紙の容器に入った、大盛りのパーティーバーレル?とか言うのを、股の間に挟んでビール片手に一人で全部平らげていたものです。
もっとも20歳前後の時代の話ですが・・・。
ぼかぁ無理!
海苔のパリパリ感が美味しそうですね。
うなぎの余談話も美味しさが伝わり過ぎて 暖かな日に出かけたくなります。
でもねーっ、もう残念なことにあの味わいが、食べれなくなっちゃったんですよねーっ。
惜しまれてなりません。
あ〜そうなんですね。