関市役所前駅界隈「風雅な御座所、小瀬鵜飼と鵜の家」
赤い鮎之瀬橋の下を流れる長良の川面に、傾きかけた西日が跳ねる。

まるで春を待ち侘びて、川面を遡上する鮎の銀鱗のようだ。

船着場に舫われた三艘の鵜船も、篝火が焚かれるのを今か今かと待ち侘びる。

向こう岸から投網を打つ漁師。

水鳥が一斉に鳴き声を発して、バサバサバサッと羽ばたき飛び立って行く。
もしかすると、河原から眺めるこの風景は、小瀬鵜飼発祥の千猶予年の昔から、何一つ変っていないかも知れない。
ついそんな錯覚に陥りそうなほど、ここは現の世から切り取られた特別な場所なのだ。
川の流れに耳を澄まし、そっと目を閉じた。
すると辺り一面は漆黒の闇。
遠くからギーギーと櫓の軋む音が聞こえ、川面を狩り下る鵜船の篝火が、漆黒の闇を切り裂く。

揺れる篝火に浮かぶ、腰蓑姿に風折烏帽子の鵜匠。
鵜を操る鮮やかな手縄さばきに、長良の夏の夜が静かに更け行く。

「まずはここの座敷で、暮れなずむ長良川を眺めながら、鮎料理の数々に舌鼓を打ってもらって、そしてとっぷりと陽が沈んだら、千年続く風雅な鵜飼をご覧いただきましょか」。

関市小瀬の料理旅館「鵜の家足立」十七代目女将の足立美和さんだ。
「私が25歳で嫁に来た時は、まだ先々代と先代夫婦もそりゃあ元気で、三夫婦で暮らしとったんやで賑やかやったわ」。
女将が鳥屋の引き戸を開けながら笑った。

真っ暗な鳥屋の中から漁の本番を控え、腹を空かせた鵜が鳴き声を上げる。
「今は全部で21羽。みんな大切な鵜匠の片腕たちやでね」。
樹齢五百年とも言われる庭の満天星躑躅が、代々宮内庁式部職を務め上げたこの家の歴史を物語る。
「亡き夫は、ほんといい男やったんやて。だから来世でもまた、夫と一緒になれますようにって、毎日お祈りを欠かしたことないんやよ。そうそう、十八代目の鵜匠を拝命した長男、これがまた主人によう似ていい男なんやて」。
こうまで言われれば、まさに亭主冥利に尽きるとしか言いようも無い。
「ぼくは高校生の頃から、父について鵜を4羽持ったり、6羽持ったりから始めて。23歳の年から、本格的に父の教えを受けるようになって、2002年に十八代目を襲名しました」。
若き鵜匠の足立陽一郎さんだ。

「鵜は、一語らい、二語らいと、一つがいずつそう数えるんやて。つがいの雄雌は、家の先代夫婦のようにどれも仲が良く、まったく羨やむほど」。
寝るときも、いつも一緒とか。
それでも十語らいもいる鵜のつがいが、よくまあ見分けられるものだと訝つてみた。
「まず鳴き声やバタつき方が違うし、何よりもつがいによって話し方が皆違うんやて。ガガガガと語るのもあれば、ゴンゴンゴンと語るのもあるし」と、鵜匠が鳥屋をのぞき込みながら笑った。

一本の手縄につなぐ鵜は8羽。
鵜船には、四語らいから六語らいを乗せ、川を狩り下る。

皇室献上の御漁鵜飼は、毎年6月10日から8月27日までに、御漁場で8回行われ、小瀬の天然鮎が宮内庁へと向う。
「家は代々、鵜と共に暮らし続けて、はや300年ですから」。
一語らいの鵜を鵜籠の中へと入れながら、陽一郎さんがつぶやいた。
鵜と鵜匠が力を合わせ、長良川が育んだ鮎を、古式ゆかしい漁法で生け捕る。
それが鵜匠の家の夕餉の膳を飾るのだ。
鮎は塩焼きは元より、魚田(甘露煮)、赤煮(煮付け)に始まり、フライ、そして鮎雑炊へと続く。

小瀬の天然鮎を知り尽くした女将の手料理を肴に、暮れゆく長良の川面に悠久の昔日を浮かべながら美酒に酔う。
俗世から隔たる小瀬ならではの、風雅を極めた現代の御座所なのだ。
「どうやった?鮎料理は?そしたらそろそろ河原にご案内しましょか?」。
「鵜の家足立」/関市小瀬
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コラムを拝見して、まず思ったのは鵜と籠がデザインされた鵜飼せんべいです。多分卵が入っていたと思いますが、サクサクして美味しかったです。関はいい街ですね。歳をとって、県内の味探訪に行きたくなりました。あ、かつてオカダさんのブログに滋賀県多賀町のそば屋さんが紹介されていた記事を思い出しました。助六さん共々、行ってみたいものです。
それぞれの地に、その土地の人々に愛され続ける名店は存在しているものです。
旅人は異邦人として、その土地の人々が愛して止まない聖地に、そっと謙虚に足を踏み込ませていただくのがマナーかも知れませんよねぇ。
毎年、今年こそは
「長良川鵜飼い」見に行くぞ~~ぉ⤴
と思いつつ、コロナの影響で中々行けていない
正直、鵜飼いはテレビでしか見た事がない
それでも岐阜市民かぁ!
と怒られそうですが、
今年はなんとか護岸からでも観ます。
とにかく悔いなくやりたい事をやらないと
もうあちらの世界へ行くのも秒読みに入りましたからねぇ!
オカダさんも後回しにしないで計画的に・・
仰る通り、いつ何時お召があるか、こればかりは何人にも分かりませんものねーっ。
確かに残り時間を気にしながら、自分らしく生きられたら何よりです。