関駅界隈「卍戒壇巡りで穢れ落とし」
「牛に牽かれて」で名高いのは、本家本元信州長野の善光寺。

関の善光寺は、日本唯一の卍戒壇巡りの霊場としてこれまた名高い。
だがこの「関の善光寺」は俗称だ。
正式には天台宗安楽律法流宗休寺という。
それにしても見事なほど、優雅に反り返る破風である。

安桜山の緑を背に、ただただ見事な限りだ。
その優雅な破風を戴いた本堂こそが、本家信州長野の善光寺を模し、約10余年の歳月を費やし、3分の1の大きさで今から200年以上前に建立された関の善光寺なのだ。
由来は寛政10(1798)年4月、信州長野の善光寺大勧進等順大和尚が、この寺を訪れ出開帳されたのが縁という。
秘仏本尊は、上野輪王寺門跡公澄親王の念持仏、一光三尊善光寺如来像の分身で、今も7年毎に大開張が執り行われている。
ちなみに次回のご開帳は、平成27年だ。
だが、日本唯一の卍戒壇巡りを行えば、大開張とも一味違うご利益がある。

闇を掻き分け秘仏本尊が安置されている厨子の真下へと進み、本尊に繋がる仏の鍵に触れれば、幸運に恵まれ、信心に依り一切の罪も消滅するという。
しかも心身が清まり、弥陀に導かれ必ず極楽へ行けるとも。
ならば俗世の穢れだらけのぼくなんぞは、いの一番に戒壇を巡り、もはや仏の情けに縋るしかなかろう。
入り口で代金300円を支払うと、手の甲に卍の印が入ったシールを貼られた。(2011.9.13時点)

「中は真っ暗なんで、迷子にならんようにと、今年から着けてもらうようにしたんですわ。卍マークが蛍光塗料やで、微かに光るんでちょっとした気休めになりますやろ」。
宗休寺の佐藤舜海僧は、にこやかにぼくを見送った。
本堂右脇の階段を降りきると、その先は真っ暗闇。
卍シールを貼った片手で、壁を伝いながら先へと進む。
右へ左へ、そしてUターン?
真っ暗な中を何回も何回も右往左往するばかりで、三半規管がどうにも機能を停止し、既に方向感覚は失われている。
頼りは卍シールの微かな光と、壁を伝う指先だけだ。
何度か行きつ戻りつを繰り返した頃、指先にコツリと異物が当った。
「これだ!」。
何だか目隠しをさせられ、手先に触れた感触だけでその物体を当てる、昔のテレビ番組の罰ゲームさながらだ。
両手で異物を確かめる。
冷たい。
やはり金属の感触だ。
間違いない。
これは土蔵の入り口などに付けられている、鋳物製の大きな錠前だ。
これが秘仏本尊に繋がる、仏の鍵とやらに違いない。
これまでの罪深い人生を振り返り、一心に仏に許しを請う。
すると突然、後方から体当たりを浴びせられた。
「ああ、すんません。どもないやろか?」。
「いえっ、ぼくがここで立ち止まっていたものですから。こちらこそ申し訳ありませんでした」。
真っ暗闇で相手の顔もわからず、ただただ声のする方に頭を下げ、再び壁伝いに進みどうにか出口へと辿り着いた。
「仏の錠前は探り当てられましたか?」。
「ええ。何とか手探りで」。
「今日はまだ空いてますが、団体さんが多い日は、まるで昔の電車ごっこですわ。まあ、電車ごっこみたいに、先頭から一番後ろの最後尾まで、縄を回して繋いでこそはいませんが」。
舜海僧がぼくを茶化す。
「元々この戒壇巡りは、僧侶の修業の場でして、それが明治以降、一般にも解放されるようになったんですわ」。
真っ暗闇の卍戒壇を巡り、極楽浄土への道が約束されるとあらば、誰もが挙って押し寄せるのもうなづける。

俗世と隔つ、真っ暗闇の卍戒壇。
俗世の時間で表すなら、片道たった3分間の闇を巡る心の旅だ。
だが御仏の下に身を置き、己が心と無心で向き合えば、そのわずかな時間さえ永遠に感じられてしまう。
そう言えば、何でだろう。
闇の彼方から脳裏へと伝う、御仏の声が亡き母の声に聞こえたのは。
関善光寺(宗休寺)/関市西日吉町
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長野市にある善光寺・・
一度、行きたいと思っていますが
松本城までは行った事があるけど
長野市まで中々遠いので、
我が家は車で普通3時間くらいで行ける道のりなら
4時間以上はかかります。
私は一刻も早く着きたいんですが
なんせ、嫁様ときたら・・
S.A寄りたがって仕方なく!
各駅停車ならぬ各サービスエリア停車ですから
だから目的地まで時間が、かかる⤴かかる⤴
いいんですって。
奥方様のご機嫌が第一ですから!
慌てて事故に巻き込まれたら、それこそドライブ旅行もたまったもんじゃありませんものねーっ。
今日は友だちに誘われて大須に行って来ました。まずは観音様に手を合わせ。で、何が目的かなぁと思ったら韓流スターのグッズ屋さん。私は韓流スターを知らないから、名前を言われてもみんな同じ顔にしか見えなかった(笑)けど、知らない世界をひとの覗き( ´∀`)
何年か振りの大須は随分変わっていて楽しかったです(*^^*)
オカダさんは大須に行く事はある?
ぼくは本町通や裏門前町の通りを通り過ぎるくらいで、もう7~8年は小路に足を踏み入れたこともありませんねーっ。
特に土日は、地方ナンバーの車でごった返しちゃってますし、行くなら平日の午前中でしょうかねーっ。
谷汲山華厳寺に戒壇巡りがあります。子供の頃は怖くて、20代半ばまで行けませんでした。意を決して学生時代の友人を誘って、彼の後からついて行きました。彼はご母堂様を亡くされて時間も経っておらず、仏様の世界に関心があったのかスーッと入って行きました。鍵も触ったそうです。ワシは声を掛けながら鍵にも触れずに出てきました。出口のときに感じた安堵感と光のまぶしさをいまでも覚えています。
あの真っ暗闇は、己の心と向き合うための、静謐な時間なんでしょうね。
なかなか俗世の穢れを纏ったままのぼくなんぞ、さっぱり悟りを開けませんが・・・。
長野の善光寺は家内の実家が中野なので帰省がてら時々行きます。戒壇巡りは、、一度体験すれば十分ですね!
関の善光寺にも何年か前に一度行きました。東濃に映画館が無くなって久しいので関のマーゴまで行くからです。
立派なお寺でした。
長野も関も、飯田の元善光寺も、いずれ劣らぬ立派な伽藍ですものねーっ。