刃物会館前駅界隈「命を斬り結んだ武士の声が聞こえる」
なぜか関や瀬戸には鰻屋が多い。

刀鍛冶の町と、陶工の町。
炉と、登り窯の違いこそあれ、いずれも灼熱の炎と熱さとの戦いであることに違いはない。

だから刀匠にせよ陶匠にせよ、折りに触れ親方が鰻を振る舞い、職人に精を付けさせ労ったとか。

言うまでもなく重労働の証しであるが、世知辛い現代とは異なり、何とも人肌の温もりと人情味が感じられる逸話だ。
「日本一の刃物産地。大発展の影に鰻屋あり」としたら、この上なく面白い。
それ故今も町中のあちこちで、鰻と書かれた暖簾を見かける。
刃物会館前駅の南、418号線を東に進み関川を越え、風情のある堤を川沿いに南へ。
70mほどで春日橋を左に曲がれば、関鍛冶伝承館へと辿り着く。

その名の通り、関の刀鍛冶に関する歴史から、貴重な資料の展示まで、今なお受け継がれる技の奥義の解説や、700年の時を重ね開花した刃物文化の華にも触れられる。

隣接する日本刀鍛錬場を、窓ガラス越に覗き込んでいると、白銀師の小坂稔さん(63)が声を掛けてきた。

「今日が一般公開の日やったら、刀匠が鎚打つ姿や、わしらのような白銀師や鞘師、それに柄巻師や砥師の実演も、見てまえたんやけどなあ」。
白銀師とは、刀身が鍔と接する鯉口にはめ込む金具の鎺や、鍔を製造する職人だ。

「鎺は鞘の鯉口いっぱいに作らんと、刀身が鞘から抜け落ちてまうんやて」。
鯉口を切る。
時代劇で耳にする台詞だ。
つまり、直ぐにでも刀が抜ける状態にした、臨戦態勢を表す言葉だ。
生か死か、討つか討たれるかの刹那。
そののっぴきならない瞬間を表すにしては、なんとも美しい響きのある言葉だ。
武士の死生観から来る、潔さであろうか。
へたれなぼくなんぞは、つくづくそんな時代に生まれずに済んだことを、母に感謝したくなるくらいだ。
「関の四方詰(鍛錬法)は、『折れず曲がらず、よう切れる』が信条で、遠く鎌倉時代の元重によって始まったんやて。それでその後室町時代には、関の孫六兼元などの名匠が誕生し、今日へ脈々と受け継がれとるんや」。
幾人もの職人の手を経て、この世へと生を受ける日本刀。

今を遡るわずか150年前の世では、人を殺めあの世へと送り込んだ凶器であった。
だからか。
これほどまでに美しい刃文の形状が、魔性の妖気を放つのであろうか。
「もう斬った張ったの時代やないで、美術品としての観賞用やね」。
ぼくが初めて母に買い与えられた玩具の刀は、たしか楠木正成公の太刀。

銀メッキを施した薄手の鉄板が、峰から二つに折り曲げられ、刃先で二枚が合わさるものだった。
子供用の玩具だから、何をどう足掻いたところで、何かを真っ二つに斬ることなど不可能。
だが、それでもぼくは、浴衣の紐で腰を幾重にも巻き上げ帯代わりにし刀を差し、得意満面で侍を気取ったものだ。
ある日、近所の友が刀持参で遊びに来た。
部屋の中でさっそくチャンバラゴッコが始まる。

母が買い物に出掛けたのをこれ幸いと、押入れの中から飛んだり跳ねたり、ドッタンバッタン。
口々に、「チャリィーン、バサッ、ドスッ」と、殺陣の効果音まで放ちながら。
何度斬られても、その都度生き返る。
どちらも不死身の剣士なのだ。
それでも飽き足らず、ぼくはついに母の三面鏡の引き出しを開けた。
中から口紅を取り出し、それを刃先に塗って、友の胴を真っ二つに斬り裂く。

すると友の黄ばんだランニングシャツの脇腹から臍の辺りにかけ、真っ赤な太刀筋が真一文字に。
この斬新なアイデアに、友も痛く感動し、今度は二人で口紅付きの刃先で斬り合う始末。
母が買い物から戻る頃には、ランニングシャツはもちろんのこと、腕から顔、そしておまけに襖まで、真っ赤な真一文字の太刀筋がベッタリ。
「あんたたち、何しとったの!」。
母はたった一本きりの、大切な口紅をズタズタにされ、おまけに部屋中口紅の太刀筋だらけに怒りが爆発。
それはもう恐ろしい、仁王の形相のようであった。

ぼくが育った昭和の半ばは、棒切れ一つですぐにチャンバラゴッコが始まる、そんな時代だった。
しかし今や、どこにもそんな子供たちの姿はない。
腕白は男の子、お転婆は女の子。
それは共に、子供だけに許された勲章だったはずだ。
いつからだろう。
路地裏でチャンバラゴッコの姿を見かけなくなったのは。
だがその一方で、子供が親や友を、ゴッコでは飽き足らず、実際に殺めてしまう悲惨な事件が報じられない日はない。
単にそんな時代に成り果てたと、他人事で済ましていいのだろうか。
関鍛冶伝承館には、命を斬り結んだ武士たちの声なき声と、刀匠が一本の刀に宿した魂の声がある。
名も無き武士や刀匠の先達は、生死の境を斬り分けた一本の刀を通し、あなたに何を語りかけることであろうか。
関鍛冶伝承館 関市南春日町
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ワシも鰻大好きです。身体を壊す前は、季節を問わず1時間以上車を走らせて関市内の鰻屋さんによく行きました。ワシ地元で伺った、関市に鰻屋さんが多い謂れは、オカダ様がのべられたのと、同じでした。ただし、テレビで紹介されてまってからは、他府県ナンバーの車が平日でも犇いてオジイのアクアが停められる余地を探すのは困難になっていきました。ここ数年、行ってません。
ぼくの舌は肥えちゃあいませんが、ぼく的には鰻の焼き加減と甘すぎない深みのあるタレと、何と言っても鰻丼のご飯の炊き加減がとっても大切に感じられてなりません。
ご飯の硬さが柔らかすぎでネッチャリとしていると、せっかくの鰻のパリパリ感まで損なわれして舞う気がしちゃいますから。
マスコミに取り上げられ持て囃されて値を釣り上げる一方の鰻屋より、町場で永年の鰻脂の染みが入った暖簾を掲げる、そんな気負わない小さな鰻屋の方が、遥かにお値打ちで美味しかったりするものです。
そりゃあ何時間も店先に並んで、鰻の焼ける匂いを嗅がされながら待ち続けりゃあ、どんな鰻屋だって腹ペコで旨く感じちゃうんでしょうけどねぇ。
ぼくにゃー、とってもそんな並んでまでなんて、まっぴら御免ですねーっ。
先日・・
一年に一度のイベントで
岐阜は「なまずや」で
「うな重」を嫁にご馳走になったのです。
うなぎは勿論の事、美味しかったのですが
付き合わせに「鯉のあらい」が出て来たのです。
海の魚と違って川魚はあっさりとして
酢味噌で美味しく頂きました。
早く来い来い♫2024年~~ん⤴
岐阜の「なまずや」、ぼくも何度かお邪魔したものです。
店名から想像すると、大垣から海津にかけての川魚豊富な水郷地帯の出のお店なんでしょうかねぇ。
だから「鯉のあらい」もお手の物かーっ!
オカダさんは、ここ最近熱田神宮に行きましたか?
刀剣の展示室が出来ていたり(有料)、宮きしめんが新しく建て替えられていたりと、進化しててビックリしますよぉ。まぁ、私は食い気ですけど(≧▽≦)
先日、熱田神宮の西側の19号線を歩きましたが、旗屋町から神宮西口の駐車場入り口まで、車がビッシリ駐車場待ちしてました。
刀剣の展示室目当ての参拝者だったのかも知れませんねーっ。
我が家はず〜っと 弁天町の『喜多川』さんです ( ◜‿◝ )♡
焼き加減 タレの甘さが 子供の頃から食べ慣れた味 ෆ╹ .̮ ╹ෆ
息子家族も帰省した時は必ず お墓参り&うなぎ ひつまぶしです
今年は日にちが合わず 『えー食べれないの』と 8歳のお兄ちゃんが がっかりしてました が 織田信長様の刀の型をした鉛筆を岐阜城見学で買って貰い とっても嬉しそうでした。
キムタクが効果で 完売になっていた ぽち袋 『織田ちん』も 購入できたようで お土産にしたり、岐阜を満喫していきました ♪(*˘︶˘*).。*♡
私は先月 お墓参り&うなぎ丼
元気 元気
お陰様で息子家族を迎え入れる事ができました ほっ! ♡˖꒰ᵕ༚ᵕ⑅꒱
ご家族ご一緒で賑やかなひと時を満喫されたようで、何より大切な思い出がまた一つ増えましたね。