岐阜新聞「 トーキングフラッシュ」2010.7.15

各地で見かける○○銀座。

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東京の銀座にあやかり、昭和半ばの高度経済成長期に名付けられたものだろう。

誰もが明日を信じ、豊かさを求め走り続けた時代の名残。

その結果、誰もが三種の神器に車や住宅を手にした。

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だが豊かさの代償か、今では子が親を殺めたり、オレオレ詐欺に通り魔など、陰惨な事件が後を絶たない。

交通機関の発達は、移動時間の短縮で人と人との距離や、産地と消費地を縮め経済発展に寄与した。

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しかし人と人との心の距離は、裏腹に遠のいてしまった。

それも心無い事件に与える、影響の一つではないか。

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かつて歌の文句にもなった柳ヶ瀬。

昭和の終わりまで、県内屈指の賑わいを見せた。

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だが平成の世が明けると、他の○○銀座同様に人の姿が消え、櫛の歯が欠けるように商店もシャッターを閉じた。

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すると今度は、豊かさを手にした者が、殺伐とした社会に心の渇きを感じ始める。

()()恋しくて、要らぬ世話でも焼かれてみたい」と。

そんな心の渇きを潤す人情が、この町、柳ヶ瀬商店街に今なお色濃く残る。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「岐阜新聞「 トーキングフラッシュ」2010.7.15」への6件のフィードバック

  1. 大垣市にも銀座、ありました。半世紀以上前の頃は流行ってました。量り売りの菓子屋、美味しい中華料理屋、駅前通りに面したやや大きなおもちゃ屋etc. 子供の頃は母に連れて行ってもらうとワクワクしました。お店の種類が雑多なので、界隈は独特の匂いが漂っていました。いつのまにか消えてまった、大垣銀座でした。

    1. 子どもの頃目にした街の風景は、必然的にそのまま留まり続けることはなく、跡はかなく消え失せるのが世の定めなんでしょうが、そのまま留まり続けて欲しいと身勝手にもついつい思ってしまうことがありました。
      自分だって可愛らしかったであろう幼少の頃とは変り果て、身丈も伸び風貌さえ変わり果ててしまったというのに。
      つくづく持って身勝手な感傷なんでしょうねぇ。

  2. どなたか?が言ってましたねぇ!
    毎年「キムタク」に来て欲しいと・・
    ホント ❢ 
    そう思うねぇ!
    なんせ岐阜市の人口を上回る46万人が訪れたとか?
    きっと閑古鳥が鳴いている柳ケ瀬も人の山だったでしょう?
    今の若い人が昭和30年代40年代の柳ケ瀬を見たら凄いと思う
    東京の渋谷並みの人だったもんねぇ!
    今じゃ、そんな面影もない・・
    私に富と名声と力があったらな~ぁ⤴
    タダのおじさんで申し訳ない!

    1. 確かにキムタクパワーは、物凄かったですねぇ。
      全国ニュースになったほど!
      それが未来永劫続けば、柳ケ瀬も蘇生するんでしょうけどねぇ。
      難しい限りですねぇ。

  3. 中学生の頃から10年間程。
    豊かさの代償 感じたと言うよりまざまざと体験し続けたっけ。
    人間の裏表や感情の浮き沈みや嘘や影口や罵倒の嵐。
    日常の生活の中 常に脳裏がザワザワしてた。
    忘れる事なんて出来ないのだ。
    甘い考えかも知れないけど 裕福な豊かさじゃなく 心の豊かさが第一のような気がする。

    1. ぼくも同感です。
      って、ぼくの場合は、多分に負け惜しみが含まれますが・・・。
      でも自分の心だけは、誰のものでもなく、自分だけのものですから、いついかなる時であっても、自分だけは自分の心の向きを、ちゃんととことん信じてあげたいと思えてなりません!
      それが結果としてどうであるかは別として!

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