今日は書初めでもしようかと思ったのは良いのですが、よくよく考えて見れば筆も硯どころか炭も半紙も無い!ならば来年こそは、諸道具でも買い揃え、着物姿で床の間に座し、一念の目標でも揮毫するか!いや待て!書道具どころかわが家にゃあ、床の間どころか和室も無いじゃないかーっ!(苦笑)
色褪せたアルバムは、両親に愛された記録だ。

だが我が家のアルバムは、ぼくが満2歳の誕生日から始まっている。
なぜならその直前、昭和34年の伊勢湾台風で全てを失ったからだ。

五十を越え、古惚けたアルバムを開く機会が増えた気がする。
ふとその中の一枚に目が止まった。
おそらく3歳の頃か。
安アパートの6畳一間に、家財道具も疎らだから被災した翌年の節句だろう。
卓袱台にはチマキと柏餅。

壁を背に仁王立ちのぼくは、なんと素っ裸。

お腹に○金と書かれた、金太郎の腹掛け一丁で。
おまけに頭には、新聞紙の兜の折り紙。

思わず吹き出しながら眺めれば、腹掛けの下から何やら顔をもたげているではないか。
甲羅から頭を突き出したスッポンのような一物が。
節句人形を買うことも儘ならず、両親はぼくを金太郎に仕立て節句を祝ったのだろう。
子の成長を願う親心は、節句人形の大小などで測れはしない。
ありがとう、お父ちゃんお母ちゃん。
思わず両親が永眠る方角に向かい、心の中で手を合わせていた。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
アルバムも卒業証書と同じように
何処かへ?行ってしまった。
アルバムだけは手元に置いておくべきだった!
67年前の思い出を振り返られるもんねぇ⤴
今は写真もデータになって・・味気ない気がする。
印画紙の方が私は好きだ!
アナログ人間だよね~~ぇ⤴
初めて新聞社の暗室に入った時の、あの酸っぱくさい匂いも、昭和の薫りそのものでしたねーっ。
紙焼きの写真アルバムは嵩張りますが、スマホやPCのフォルダーに入ったまま見返すことも無い写真データより、味がありますよねぇ。
子供の頃のアルバムは枚数こそ少ないですけど思い出が凝縮されています。
そして撮ってくださった 父方の叔父や母方の叔父のことまで思い出してしまいます。
確かにその写真を誰が撮ってくれたのかって、当人だけにはちゃんと記憶されるものですものねーっ。
写真は、被写体である当人と、ファインダー越しにシャッターを切ってくれた方との、絆の証のようなものなのかも知れませんね。
まぁ、盗撮は別ですが!(笑)
アルバム、私の幼児から写されたセピア色した写真集、どこかに行ってまったままです。当時は確か、妹や従兄弟も交えて硬い表情で写っていたと思います。冬季オリンピックでジャネット・リンさんが出て『ラブピース』を披露された頃から、多くの人がピースをして写真に収まった感じがします。ところで、ジャネット・リンさんはどうしておられるのでしょうか。
懐かしいですねーっ。
ジャネット・リンさん!
知りませんでした。
あの『ラブピース』の生みの親とは!
ぼくは専ら、右手の親指と人差し指だけを、曲尺のように90°開き、相手側から見ると「Love」の「L」字に見えるようにして、「V」の代わりにしています。
おはようございます
アルバムですね 私の子どもの頃のアルバムは実家の何処かにはまだあるはずです
そのうちのほんの一部は結婚してから持ってきてますよ
今では私が倅のアルバムのページづくりに頑張ってます(笑)
そう!今日という日は2度とやってこないですから それに自分的には動画(ビデオ)より
写真で残す方が好きな人なんでよけいにそう思うんですかね?
今年はどんな思い出に出会えるのでしょうか楽しみです~♪
その時々に、二度と繰り返せぬ想いでの瞬間を、一枚一枚の写真に焼き付ける。
みっくんのパパさんも、益々親バカブリ発揮で、なによりじゃないですかぁ!
それにしても「ミキちゃん」すっかり大きくなったんだろうなぁ!