毎日新聞「くりぱる」2006.11.26特集掲載⑤

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「読書に耽る晩秋」

子どもの頃からぼくは、本屋で本を探してると、必ずと言っていいほど便意を催してならなかった。

確かテレビで、インクの匂いで便意を催すとかって言ってた気がする。

大人になった今でも、本屋に長居を決め込むと、子どもの頃のトラウマが蘇ってならない。

「あ・・・のう・・、何かお探しですか?」。

自由書房のA.Kさん(22)だ。

写真は参考

不意打ちにたじろぎ、ついつい口をついた台詞は「東海の天職一芸って本を探してるんです」。

加藤さんの先導でレジ前の売り場へ。

「これですかねぇ」。

さすがに入社4年と言うだけあって、躊躇うことなく本の在り処へ。

「ああっ、こ・これですう」。

特等席に平積みされたぼくの拙著とご対面。

写真は参考

今更ぼくの本ですとも言い出せず、加藤さんの目を盗んでそそくさと店外へ。

それにしても大きな本屋さんだ。

哲学書や自然科学書、それに芸術書まで3フロアー丸ごと、ちょっとした図書館のようだった。

自由書房 岐阜市神田町

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2006.11.26特集掲載⑤」への8件のフィードバック

  1. 鶴舞の古書店を巡りたくなりました。あっという間に半日経ちますね!

    1. しかし昔に比べると、鶴舞の古本屋街も随分数が減ったものです。
      20歳の頃、名駅のパブで唄う仕事に向かうためのバス代に事欠き、大きな紙袋2杯分の本を古本屋で買って貰ったことがありました。
      そしてやっとのことバス代と昼飯代を確保したものの、古本屋の隣にあったパチンコ屋が手招くもんだから、ついついもしかしたら倍になるかもって魔が差しちゃったことがありました。
      ところがどっこい!
      世の中、そんな調子よくは行きません。
      結局倍にするどころか、スッテンテン!
      せめてタバコの若葉だけでも買っておけばヨカッタァーと。
      名古屋駅のパブまで、丸田町からトボトボと歩いて行ったものです。
      嗚呼、情けなやーっ!

  2. 岐阜市内に住んでいる殆ど方は
    「自由書房」は知っているでしょう!
    けど、自慢するけど
    私は一度もお店で本を買った事がありませんし
    お店にも多くて3回位しか行った事がない・・
    バカだから勉強しないといけないのに
    当時はそんな事「ミジン」も思っていません!
    もう少し勉強していれば今とは違う人生だったかも?

    1. 逆にぼくは本屋が好きでした。
      しかしなぜか本屋で本を探していると、必ずと言っていいくらいに便意を催してしまうため、その頃合いを見計らうのが大変だったものです。

  3. 若い頃は、お通じの問題に悩ませれることはなかったのですが、オジイになると胃腸もくたびれてしまったのか薬に頼る日々です。希少となった街の本屋、行ってます。便意はともかく、立ち読みならぬ座り読みができる本屋もありました。

    1. ネットであれこれ検索して学んでも、どうにも昭和オヤジにとっては、なかなか身に付きません。
      それだけ齢を重ね、記憶量の容量不足なのかも知れませんが・・・。
      でも本屋さんや図書館は、必要とする情報を背表紙を頼りに探り出す楽しみもあります。
      しかし間違えて手にした一冊の本から、必要としていた情報とは異次元の世界へ、あっと言う間にワープしちゃうのが難点です!

  4. 東京勤務のとき、八重洲ブックセンターに足繁く通ったものでした。サイン会などもよくありました。おもしろいのは「キオークマン」というマイク付きヘッドホンがあって、目にして即、買いました。覚えたい事柄を読み上げて、自分の音声を耳から入るようにして記憶を促進する機械でした。残念ながら、私の場合はあまり効果がありませんでした。

    1. 記憶を詰め込むのには、やっぱり限界がある気がします。
      記憶はやっぱり、五感のいずれかとリンクさせて、刻み込むに限るように思えます。
      雑誌で見かけた旨そうなラーメン店の情報を記憶したつもりが、ついつい次のページで目にしたイタリアンに目が移り、そっくりそのままそれらの情報は上書きされるでもなく、脳裏から零れ落ちるばかり。
      例え旅先で飛び込んで自分の舌で味わい舌鼓を打った、お気に入りのラーメン店の情報なら、何十年経ってもどこにあったどんな店だったかも、脳裏に刻み込まれています。

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