毎日新聞「くりぱる」2006.11.26特集掲載②

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「岐阜市柳ヶ瀬界隈」

今回で最後となりました「素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)」は、第26回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会に沸く、大好きな岐阜市柳ヶ瀬界隈が舞台です。

写真は参考

「素描漫遊譚」は、2003年の9月に名古屋市大須の町を皮切りに、3年と2ヶ月に渡って愛知・岐阜・三重の各地を訪ね歩いた。

永いようで短かった旅。

いつもぶらりと気の向くまま、そして足の赴くまま。

どうにも気になってしかたがない店や、店先で埃をかぶった奇妙な珍品に魂を吸い寄せられたものだ。

ぼくは旅の始めにあたり、いくつかの「お約束事」を立てた。

それは歯の浮くような、オベンチャラを一切()かないこと。

そして流行(はやり)の店やモノに執着せず、今と昔を有態に散りばめることだった。

なぜならぼくが訪ねる町では、いつも三世代の同居するような、そこはかとない体温を感じていたいからだった。

町の基本は、その町に暮らす人。

そして町の大きさやそこで暮らす人の数に応じ、やがて適度な距離感を持って様々な店が建ち並ぶ。

町のあちこちでは子供らが駆け回り、木陰で老人が憩う。

働き盛りの大人たちは誰も気忙しそうだが、それでいて駆け回る子供たちや老人たちを、ちゃんと視野の片隅に入れていた。

しかし昭和も半ば以降、時代は経済発展を最優先させ、その身代わりに緩やかだった町や人、店やモノとの距離感を引き離した。

マイカーブームが到来し、やがて郊外に大型の商業施設が鳴り物入りで誕生。

駅を取り巻くように発展を遂げた、一昔前の町並みは一変した。

まるで抜け落ちた虫歯のように、シャッターを硬く閉ざしたままの店。

写真は参考

人通りの消え入りそうな商店街。

駆け回る子供たちや、のんびりくつろぐ老人の姿は、すでに遠き日の残像となった。

世の流れや、人の流れに諍うことなど出来ぬ非力なぼくは、「素描漫遊譚」の心の旅に、やり場のない怒りや淋しさを小さなメッセージに託し、せめてもの慰めにとこっそり認めるしか術がなかった。

「今昔合い塗れてこそ、町なんだ。老若男女が暮らし、それぞれが必要とする店やサービスがあればそれでいい。大企業や名のある再開発プロデューサーが、力任せにテーマを定めた嘘っぱちな街なんて、ぼくらが愛した町じゃない」んだと。

写真は参考

「再開発の名の下に、駅前は悉くリトルトーキョーだ」。

ぼくは悔し紛れに、何度となくそんな言葉を口にしたものだ。

近代的と言う強引さを伴う言葉の影で、失われてしまったその町らしさや、その町だけの庶民の文化が妙に恋しくて。

「素描漫遊譚」旅立ちの町は名古屋の大須。

古びたメリヤス屋の隣りで、ビンテージ物のジーンズが吊り下がる、若者に人気の店と老人向けの店が同居する町。

そのアンバランスさが『町』そのものだった。

そんな想いで町と人を訪ね歩いたぼくの「素描漫遊譚」。

もっともっと沢山の町を訪ね歩き、もっともっと素敵な人に出逢いたかった。

ありがとう「素描漫遊譚」。

そしてサヨナラ「くりぱる」。

いよいよぼくの珍道中「素描漫遊譚」最終回。

結びの地に相応しい、今昔入り乱れる岐阜市柳ヶ瀬界隈を、感慨一入にぼくは最後の心の旅を始めます。

これまで永らくのお付き合い、本当にありがとうございました。

心より感謝いたします。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2006.11.26特集掲載②」への9件のフィードバック

  1. 柳ケ瀬商店街・・
    岐阜駅前にある、問屋街・・
    どちらも、昭和に古き良き時代
    人が溢れて居た・・
    現在はシャッターが下りて
    どこで、どう間違えたのか下手したらゴーストタウン
    もう⤴あんな時代は戻って来ないんでしょうねぇ!
    でも、自身の心にはちゃんと思い出として残っている。
    と、まぁ⤴柄にも無い事を言ってしまいました。
    オカダさん、思いで作り大事にしましょう!

    1. 仰る通り!
      クルクルと様変わりする最先端の時代ばかり追い駆けたって、追いかける立場なら追いつけっこも無いし、ましてや追い抜けるわけも無し。
      ならば自分のこれまでの人生の中で、一番安らげる思い出をいついつまでも色褪せないようにしたいものです。

  2. 気がついたら、八百屋さんが店をたたんでおられました。平成に入ってしばらくのことです。なんでも、娘さんご一家のところへ越して行かれたとか。八百屋さんは、コミュニケーションをとるのが苦手な家内にとって格好の情報収集の場でした。仕方なく、車で8分ほどかかる大型スーパーに買い物に行きました。「買い物難民」になることを実感し始めました。やがて、その大型スーパーも経営母体が変わり関西に本社がある会社の傘下に入りました。やがて、家内が病気がちになり、今は通販も利用し始めました。歳を重ねて無常を感じること一入です。

    1. 確かに齢を重ねる度、若い頃と違い行動半径も狭まり、徐々に地域社会との繋がりも希薄になるばかりです。
      でもそうやって狭まっていく小さな地域社会の中で、それなりに楽しみを再発見するような気持ちを持ちたいと思っています。
      奥方様をどうぞ大切にして上げてください。

  3. 街並みや環境がどんなに変わっても 50数年前の事 しっかり脳裏に焼き付いてます。現実と比較すると 寂しさや驚きの連続だけど 両方を目の当たりに出来たという事に関しては 良かったかなぁ〜と思います。
    いや、思わなければ進めないのだ。
    ニュースで 卒業した?高校生のコメントを聞いた。
    携帯に残ってる同級生の顔写真 ほとんどが加工した物ばかりなので 本当の顔の写真が無い事に気付き 後悔してる…と。
    この子達が高齢者になった時 何を思い出すんだろう?景色や街や人 どんな姿だろう?
    あったかさを感じるだろうか?
    我が娘や息子達も…。
    大きなお世話と言われそうだが(笑)
    まぁ どの時代もこのような事の繰り返し。
    抱え切れない程の思い出を持ってる今の自分が幸せ…
    そうだと思いたい( ◠‿◠ )

    1. そうですとも!
      なんぴとも邪魔の出来ない、自分の体に鎧われた大切な心の記憶なんですもの。
      色褪せさせてしまうのも自分なら、いつまでも総天然色のまま、そっと仕舞い込んでおかなくっちゃ!

  4. お心遣い、ありがとうございます。寒さも本番です。ご自愛ください。

  5. 柳ヶ瀬通を行き交う人々を写したモノクロ写真を見て気づいたことが2つあります。1つは人が多いこと。そしてもう1つは、人々の手に携帯電話やスマホが握られていないこと。当時としては当然でしょう。しかし、空いた手が自由を、更に言えば人々の高揚した気持ちをあらわしているように思えるのです。また、視線は広角に届き自由度も高かったとみえます。僕も含めて手元ばかり見ている人達は、虚構の自由を謳歌しているような気持ちになっているように思えてなりません。レトロスペクティヴな感傷ではなくて。

    1. 次なる真新しい明日のための、レトロスペクティヴなら大いに結構。
      過去を検めて振り返れば、明日へのヒントの欠片と出逢えそうな気がします。

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