2006.1 毎日新聞 新年別刷④

「名駅摩天楼計画」④

『下町の溜り』

ガラガラガラ。

重みのある、昔ながらの引き戸を開ける。

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一歩踏み込めば、溜りの香が漂い口中に唾が湧く。

ひんやりとした土間の片側には、5つの大きな樽と、飴色の(かめ)が置かれている。

「家は昔から、量り売りだけの醸造元なんだわ」。

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名古屋市西区名駅、昭和7年(1932)創業の山英商店、二代目の山田英樹さん(73)は、柔らかな物腰で語り始めた。

英樹さんは昭和7年に5人兄弟の長男として誕生。

「今でも桶ひっくり返すと、昭和7年8月にこの家を建て、10月に創業と書いてあるでね」。

まさに山英の、溜り醸造の歴史そのものが生い立ちなのだ。

「父が『大学なんか行かんでええ』って言うで」。

英樹さんは高校を上がると、父と共に味噌と溜りの醸造に精を出した。

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「昔はだいたい、2~3の町に一軒は、味噌醤油を醸造する店があったもんだわ。西区でも戦前は11軒あったのが、今は家だけだでね」。

戦後、都市開発の工事で井戸水枯れ、止む無く工場を移転した。

「水道水だと味が違うでかんわ」。

英樹さんが跡を継いで6年後、父が他界。

「大学なんか行かんでええ」と言った父は、自らの末路を知っていたのだろうか。

一日でも早くとの想いからか、郷土の味の製法を息子に伝授し、店の行く末を託した。

「先代の教え通り、昔ながらの製法と1年3ヶ月の熟成。それと甕出しの量り売りも、昔のまんま。本当は瓶詰めも嫌なんだけど、今の時代そうも言っとれんし」。

本来昔は、家々に味噌醤油の樽があり、客はそれを持参したとか。

「溜りも息をしとるでなぁ」。

溜りの詰まった樽。

英樹さんはキキュッと音を立て、口の木栓を抜き取った。

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ジョボジョボと音を立て、甕に溜りがほとばしる。

辺りに馨しい、日本の薫りが漂う。

「まあ指先で舐めてみやぁ」。

「旨すぎる!」。

つんと鼻を突く匂いなど無い。

柔らかな薫りと、まろやかな味が、口中にじわ~っと広がった。

「プ~ッと膨れ上がった焼餅を、溜りに浸して食べられたら、最高のご馳走だね」。

下町の味を、親子二代で頑なに守り続ける職人。

伝統の味は、この味を愛し続ける、下町衆の心意気に守り続けられている。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「2006.1 毎日新聞 新年別刷④」への4件のフィードバック

  1. 昔、住んで居た町内に酒屋さんがあって
    店先を通ると「ぷ~~ん」とたまりの匂いがして
    「たまり」だけに・・
    お腹かが「グ~ゥ~」と鳴ってたまりませんでした。
    お後が宜しいようで・・

    1. 醤油の香りや、うどん屋さんの出汁の香には、ついつい袖を引かれちゃうものです。
      駅のプラットホームにあるスタンド式のうどん屋さんから、醤油と出汁の香が漂い出てくると、ついついフラフラと暖簾を潜りたくなっちゃうものです。

  2. そうですね。私事ですがお腹は減っていないのに、新潟出張時に富山、米原などの乗り継ぎ駅で連絡列車を遅らせても、立食いそばの店に入ったものでした。むかしは大垣駅にもあったものでしたが、高校卒業の頃には無くなってまいました。

    1. 立ち食いソバのお店から漂い出でる匂いには、日本人の原点のようなものを感じてなりません。
      一杯のかけ蕎麦と熱燗。
      最高ですねぇ。

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