「名駅摩天楼計画」④
『下町の溜り』
ガラガラガラ。
重みのある、昔ながらの引き戸を開ける。

一歩踏み込めば、溜りの香が漂い口中に唾が湧く。
ひんやりとした土間の片側には、5つの大きな樽と、飴色の甕が置かれている。
「家は昔から、量り売りだけの醸造元なんだわ」。

名古屋市西区名駅、昭和7年(1932)創業の山英商店、二代目の山田英樹さん(73)は、柔らかな物腰で語り始めた。
英樹さんは昭和7年に5人兄弟の長男として誕生。
「今でも桶ひっくり返すと、昭和7年8月にこの家を建て、10月に創業と書いてあるでね」。
まさに山英の、溜り醸造の歴史そのものが生い立ちなのだ。
「父が『大学なんか行かんでええ』って言うで」。
英樹さんは高校を上がると、父と共に味噌と溜りの醸造に精を出した。

「昔はだいたい、2~3の町に一軒は、味噌醤油を醸造する店があったもんだわ。西区でも戦前は11軒あったのが、今は家だけだでね」。
戦後、都市開発の工事で井戸水枯れ、止む無く工場を移転した。
「水道水だと味が違うでかんわ」。
英樹さんが跡を継いで6年後、父が他界。
「大学なんか行かんでええ」と言った父は、自らの末路を知っていたのだろうか。
一日でも早くとの想いからか、郷土の味の製法を息子に伝授し、店の行く末を託した。

「先代の教え通り、昔ながらの製法と1年3ヶ月の熟成。それと甕出しの量り売りも、昔のまんま。本当は瓶詰めも嫌なんだけど、今の時代そうも言っとれんし」。
本来昔は、家々に味噌醤油の樽があり、客はそれを持参したとか。
「溜りも息をしとるでなぁ」。
溜りの詰まった樽。
英樹さんはキキュッと音を立て、口の木栓を抜き取った。

ジョボジョボと音を立て、甕に溜りがほとばしる。
辺りに馨しい、日本の薫りが漂う。
「まあ指先で舐めてみやぁ」。
「旨すぎる!」。
つんと鼻を突く匂いなど無い。
柔らかな薫りと、まろやかな味が、口中にじわ~っと広がった。
「プ~ッと膨れ上がった焼餅を、溜りに浸して食べられたら、最高のご馳走だね」。
下町の味を、親子二代で頑なに守り続ける職人。
伝統の味は、この味を愛し続ける、下町衆の心意気に守り続けられている。
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昔、住んで居た町内に酒屋さんがあって
店先を通ると「ぷ~~ん」とたまりの匂いがして
「たまり」だけに・・
お腹かが「グ~ゥ~」と鳴ってたまりませんでした。
お後が宜しいようで・・
醤油の香りや、うどん屋さんの出汁の香には、ついつい袖を引かれちゃうものです。
駅のプラットホームにあるスタンド式のうどん屋さんから、醤油と出汁の香が漂い出てくると、ついついフラフラと暖簾を潜りたくなっちゃうものです。
そうですね。私事ですがお腹は減っていないのに、新潟出張時に富山、米原などの乗り継ぎ駅で連絡列車を遅らせても、立食いそばの店に入ったものでした。むかしは大垣駅にもあったものでしたが、高校卒業の頃には無くなってまいました。
立ち食いソバのお店から漂い出でる匂いには、日本人の原点のようなものを感じてなりません。
一杯のかけ蕎麦と熱燗。
最高ですねぇ。