2006.1 毎日新聞 新年別刷①

「名駅摩天楼計画」①

「サンロードとミットランド」

「♪モグラのチカちゃん行ったとさ。ナンナン名古屋の地下八丁…♪」。

昭和の丁度折り返し地点、昭和32年(1957)に国内初の地下街「サンロード」が、名古屋駅の地下に誕生。

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時を同じくしてこの世に生を受けたぼくにとっては、ここわずか10年ばかりの間に豹変した、名駅の変わり身の早さに、何とも度肝を抜かれる想いだ。

ミッドランドスクエアが一階また一階と、天への距離を縮める分だけ、ぼくの愛した昭和はひっそりと遠退いていってしまう。

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18年を刻む平成の世にあって、ぼくは今にも消え入ろうとしている昭和の残像を、追い求める姿勢に変わりは無い。

「大変でしょう。世も人も新しい時代に流され、変わってしまうから」。

よく取材中、そんな言葉を耳にする。

しかし、ドッコイ昭和の魂は、それでもひっそりと、そしてしたたかに生き長らえているのだ。

未来へと天を目指す、名駅摩天楼が(そび)える足元。

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変わり行く名駅を、まるで遠い異国のように眺めながら、今尚昭和の佇まいに身を置き、あの頃を刻んだ秒針の速さで、今を生き抜く人々を追った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「2006.1 毎日新聞 新年別刷①」への8件のフィードバック

  1. 田舎者の私は「地下街」って
    都会って感じで憧れる・・
    それに名古屋駅(名鉄電車)が地下ホームへ入って
    行くので、ビックリ!
    初めて名古屋の地下街へ行った時は
    物珍しさもあって視線が定まりませんでした。
    それに人の多さ!
    地下街は雨風、暑さ寒さもしのげてイイよねぇ!
    もう4年近く名古屋へ行ってないので行きたぁ~い⤴

    1. サンロードの奥にはその昔、確か都地下街とかってぇのがありましてねぇ。
      当時の都ホテルに通じていた地下街です。
      夕方になると会社帰りのサラリーマンが、ちょいと一杯ってぇ感じの、手頃な赤提灯が並んでいたものです。
      今はすっかりそんな面影も無くなっちゃいましたが・・・。

  2. オカダさんが冒頭に挙げてござる、唄は節回しまで覚えております。確か続きのフレーズに〜名古屋地下街ナンバーワン!〜があったと記憶しています。名古屋は大都会になってまいましたが、東京や横浜とは違う味を出して欲しいです。高層ビルや新幹線は文明の産物ですが、けだし、名古屋弁は立派な文化ですから。

    1. ぼくが子どもの頃は、ご近所のご隠居さんたちが井戸端会議で話される名古屋弁を、とても心地よく聴いて育ったものです。
      「そんでなも」ってな具合で、とても軟らかく温かみのある、イントネーションと節回しで。
      ところが最近では、名古屋弁を誇張し、まるで汚い言葉のようにお話になる方がおられ、すっかり昔ながらの流暢な名古屋弁はすたれてしまったように感じます。

  3. おっしゃる通りですね。僕の祖母は名古屋市の長者町出身でした。僕には上品と思われるような?名古屋弁を操っていました。

    1. 長者町のご出自であられたなら、御尤もだと思います。
      しかし残念ながらお婆様のような流暢な名古屋弁は、もう絶滅したかのように感じられてなりません。

  4. お味噌を作っておられた山英商店も廃業されてしまったのですね。
    長者町の家は米屋を営んでいました。祖母に連れて行ってもらった当時は幼稚園か小学校の低学年でした。なんと、祖母のお母様も生きておられました。ご家族で、自分達の兄妹を「にいさま」、「ねえさま」と呼び交わしていたハンナリした名古屋弁?が耳の底に残っているのです。その米屋も随分前に廃業した由。無常ですね。

    1. 生活に密着した、お米屋さん、味噌醬油屋さん、魚屋さん、乾物屋さん、酒屋さんなど、ほとんどの商品がスーパーやコンビニでいつでも手軽に手に入るようになっちゃー、専門店はなかなか営み続けるのも難しい、そんな世の中になっちゃった証なんでしょうねぇ。
      便利至上主義も結構でしょうが、麩便利だったからこそなにではの、消費者とお店屋さんとの人情の機微ってぇのもあった気がします。

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