「素描漫遊譚」
「日野町界隈」
今回の「素描漫遊譚」は、7月15日・16日に開催される「松阪祇園まつり」で賑う、熊野街道と伊勢街道が交差する神々詣での追分、日野町界隈がが舞台。

揃いの法被をまとった千人の担ぎ手。
2日間で10万人の人出で賑わいを見せる。

何時からだろう?
子供神輿の掛け声に、「げ~ん~き~を~だ~し~て!ワッショイ!」って、「元気を出して」が引っ付いちゃったのは?
ずっと気になっていた。
ぼくが子供の頃は、「元気を出して」と促されなくとも、祭りとなれば、神輿を担ぐとなれば、その日に向かって蓄えた「元気」を惜しげも無く曝け出したものだ。
ぼくがその異変に気付いたのは、世の中全体がバブルに浮かれ始めた頃だったように記憶している。
人通りの絶えた町の商店街。

歯抜けになってシャッターを降ろしたままの商店。
空き店舗に紅白幕を張り巡らした、臨時の神輿宿。

疎らな法被姿の子供たちと、お守り役のご老人。
神輿の巡行時間が近付くと、エプロン姿のお母さん達が加わる。
「さあ、一丁行くぞ~っ!」といった、張り詰めた空気などない。
「じゃあ、みなさんそろそろ参りましょうか?」と、何だかとっても気だるそう。
子供たちは台車に載った神輿の紐を、弛んだままズルズルと曳いてゆく。

これじゃあ掛け声だって「ワッショイ!ワッショイ!」と、2ビートの縦乗りと行くわけが無い。
だから取り巻きの大人達が「げ~ん~き~を~だ~し~て!」と促すことになったのだろうか?
昭和40年前半のぼくの子ども時代。
神輿のどのポジションを担がせてもらえるかで、一喜一憂したものだ。
祭りの当日。
町内から貸し出された法被に袖を通し、グルグル巻きにした手拭の鉢巻きを締めれば、もう気分は最高潮!
魂が神輿へと向かって、2ビートのリズムに乗り吸寄せられてゆく。
巡行が始まれば、子供たちは我こそはと、腹の底から掛け声を捻り出した。
「ワッショイ!ワッショイ!」。
呪文のように繰り返すたった一言だけの「ワッショイ」。
しかし繰り返すたびに、心は一つに結ばれていった。
宿へと引き上げ、氷水に冷やされたジュースを一息で飲み干すと、誰もが魂の抜け殻のように力尽き、しばし交わす言葉さえ失ったものだ。
翌日朝。
分団登校の集合場所には、祭りの後の寂しさと、元気を使い果たした抜け殻のような子供たちが、「お・は・よ・う」と濁声を交わす。
ハレの日の祭りに捧げた、声の枯れ具合こそが、当時のぼくらにとってかけがえの無い勲章そのものだった。
さあそれでは、「松阪祇園まつり」を3週間後に控えた神々へと続く追分、松阪市日野町周辺の町並みをのんびりゆっくり漫ろ歩いてまいりましょう。

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祭りの賑わいは好きだ・・
露店を見るのもいいよねぇ!
子供の頃、セルロイド製の仮面がありましたねぇ!
特に「七色仮面、月光仮面」一度だけ買って貰い
でもさぁ⤴仮面を付けると、セルロイド臭くって
一瞬で、気持ち悪くなって、束の間のヒーローだった。
そうでしたねぇーっ。
それにすぐに割れちゃって!
儚いものでした。
新潟県上越市の直江津では7月下旬に、祇園祭があります。単身赴任をしていた20年ほど前は山車を曳いたり「大民謡流し」また花火大会が沿岸でありました。今年も3年ぶりに規模を縮小して行なわれたそうです。ぼくはなぜか上越市が好きです。
上越市は通ったことはありますが、街を訪ねたことがありません。
一度お邪魔出来たらいいのですが・・・。
私が住む神戸町は『神戸の火まつり』が有名です。中学校は臨時で休校となりました。「飲酒厳禁」というお触れも出ました。しかし祭りの翌日は飲酒で学校を休む子供が、いました。また、ケンカもよくあり武勇伝が喧伝されたものでした。
郷土のお祭りって、ハレの日の行事でしたから、大人たちも少々のことは目を瞑ってくれていた気がしますよねぇ。
それとケンカも男気を競う、祭りの華のような存在でもありましたものねぇー。
今のような陰湿なイジメとかに比べれば、いくらかスカッとしたものだったようにも思えます。