「素描漫遊譚」
「煙草屋さんの看板娘?」
「祖父の代は呉服屋だったみたい。それからお茶屋に。煙草屋は主人の代になってから始めたんだわ。配給の時代にだけどね」。
浜久商店のS.Hさん(61)。

「まあ今は禁煙禁煙って、売れぇーせんでかんわ。それに次から次へと新しい煙草が出て来るもんだで、名前はようやく覚えても、値段が覚えられんでかん。それこそ間違えたら、薄利だで元も子もあれせんって。だで間違わんように、ショーケースの裏側に値段書いて貼っとるんだわさ」。
40年前に犬山市から、嫁いだとか。
「昔は煙草屋さんの看板若奥さんだったんだろうね?」。
「アーッハッハッハ。そんなこと知らん!」。
Sさんが煙に巻いた。
玄関口の大輪のボタンが、大きくゆったりと風に揺れる。
浜久商店 緑区有松町往還南(2006.5.28時点)
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喫煙者に肩身の狭い世間になって・・
そう考えると昔は何処でも喫煙OKでしたねぇ!
所構わず駅のホーム、飲食店、歩きタバコ
極め付けが映画館、タバコの煙でスクリーンが観にくかった。
タバコは害があるとは分かっていても止められない!
気持ちは分からんでもないし落ち着くよねぇ
まぁ⤴高い税金を払っている・・
オカダさんには感謝しないとねぇ!
おまけに酒税までだもん凄い・・
そんなに税金ばかり払わなくてもイイのにねぇ!
何てったって昭和半ばのヤニ臭い男ですからねぇ。
昔は電車の窓際に、灰皿だってありましたよねぇ。
病院の待合でも喫煙OKで、診察に呼ばれるまで、みんなプカプカってやってましたものねぇー。
そう言えば、西岡恭蔵さんの「ぷかぷか」って唄、好きだったですねぇ。
ありましたね。だいたい共通しているのは、写真にもあるように公衆電話の看板が付いていること。またお店の腰から下はタイル張りになっていることだったと思います。「チヨダのタバコ」という看板も架かっていたことを記憶しています。私が若い頃は、どの店も店番は年配の方でした。アバンチュールを求めてウロついてもダメだった記憶があります。
そうでしたよねぇーっ。
ぼくもうっとりするような、煙草屋さんの看板娘なんぞ、ついぞお目に掛った覚えがありません。
みんな昔のお嬢様ばかりでしたーっ。
最近じゃあ、タバコ屋さんを見掛けなくなりましたねぇ。
オカダさんは禁煙をしたことがありますか?
喫煙者は肩身が狭くないですかぁ?
肩身が狭いのは確かですが、それでもやっぱりタバコが好きなんです。
なんだか たばこの匂いまで懐かしく思い出します。
通学の列車にも灰皿ケース付いていました。
今年は父に たばこをお供えするのも ひとつですね。
褒めてくれるかなぁ
ぼくも両親の墓前には、煙草大好きだった父のために、一本火を付けた煙草を供えて燻らせてます。