「素描漫遊譚」
「春の高山祭」
春まだ浅い飛騨路の都、高山。
雪解け水が宮川を、北へと下り始める。
川堤に連なる、黒塀の家並。
春を待ち侘びる桜の蕾も、いじらしそうに綻ぶ瞬間を待ち続ける。
朝市を練る下駄の音。

親しげな、売り子の声には飛騨訛り。
「ただいま~っ!」。
「あらっ、お帰り!じゃなくって、いらっしゃいませよねぇ」。

帳場の奥から女将が、にこやかな顔でぼくを出迎えた。
「どういうわけか、いつも『ただいま~』って言っちゃうんだよなぁ。何だか軒の麻暖簾をくぐった瞬間、妙にほっこりした気分になっちゃうんだから不思議で堪らないんだよなぁ」。
宮川に掛かる鍛冶橋を、西に越えた国分寺通。
風情漂う出格子から、柔らかな灯りが零れ、疲れた旅人の旅情を癒す。
ぼくにとって田邊旅館は、まるで高山の母が迎えてくれるような宿。

本紙東海面「天職一芸(平成14年6月11日掲載)」の取材で、お邪魔してからのお付き合い。
高山取材のたびに無理を言っては、厚かましくもお泊め頂いていた。

「今年の冬は、雪がひどかったですから。でも春は、もうすぐ祭囃子と共にやってきます」。
ご主人の田辺信義さん(70)だ。
三つ揃えの背広がビシッと決まる。
「元は銀行員の婿養子です」。
なるほど。
岐阜県関市出身の信義さんは、東京の大学を出るとそのまま都内の銀行に勤務。
「25歳の頃だったでしょうか?高山の美しいお嬢様が、花婿募集中だって知り合いに言われまして。見事に引っ掛かりましてねぇ」。
二人の息子を授かり、28歳の年に一家で高山の女将の実家へ。
「今じゃあすっかりこの町の人間です」。
「あなた、よかったじゃない」。
傍らで女将が、面白半分に夫を茶化す。

「昔は春が来ると毎日がお祭り。平日でも、銀行まで休みになって」。
信義さんも懐かしげだ。
「祭りが唯一の娯楽でしたからね」。
4月14日。
待ち侘びた高山祭りの幕が開く。

祭囃子が鳴り出せば、飛騨路いちめん春爛漫。
春はもうすぐやって来る。
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思い出す、バスツアー! 大広間ライブ。再訪したい宿です。
あ、それから自由時間に訪ねた 酒が飲める絵本屋さん「ピースハウス」にも!
いずれにしても懐かしい旅の思い出でしたものねぇ。
田邊旅館
懐かしいねぇ⤴
大広間の畳のお座敷ライブだったけど
目の前でオカダさんが弾き語りをしているのを
感動して見てたもんですぅ ❢
昼間は高山散策して夜はオカダさんのライブを観て
泣いたり・・笑ったり・・笑ったり・・笑ったり
まるで、お笑いライブのようにねぇ ❢
また、この場所で「ほろ酔いライブ」出来るとイイですねぇ ❢
最近、体調不良だったせいか・・
イイ事がないので、何か?イイ事が待ち遠しい・・
願い続ければいつか叶う!
ぼくもそう信じながら、昔の唄を爪弾いたり、作りかけの楽曲作りを始めたりしていますよ。
いつか近い内にもう一度皆さんの前で、弾き語れる日のために。
こんばんは(^-^)/
田邊旅館と言えばオカダさん高山バスツアーで参加してお座敷ライブでその日が私のお誕生日でお祝いのバースデーを生歌を祝ってもらって最高の思い出になりました(*^ー^)ノ♪あの時は本当に本当にありがとうございます(*^ー^)ノ♪ 田邊旅館の夜と朝の食事は最高に美味しかったです(^-^)/ また機会があれば参加したいですね(^-^) オカダさん(^-^) オカダさんのギターの弾き盛り聴きたいし生歌も聴きたいです(*^ー^)ノ♪ 早くコロナ終息して欲しいよね(^_^;)
お久しぶりですねぇ。
お元気そうで何よりです。
お座敷Liveもホッコリして良いものでしたよねぇ。
遠い昔を思いだします。
国分寺さんの境内でラジオ体操をして それからラジオ体操のハンコを押してもらって すっかり飛騨訛りの叔母のお家で小茄子のお味噌汁を頂いた子供の頃の夏休みです。
叔母さまは飛騨に嫁がれたんですね。
いいですねぇ、飛騨に親戚があって!
あ〜よかったです。
オカダさんがギターで昔の唄を爪弾いたり楽曲づくりを手掛けていると 伺っただけで ほっとしています。
なかなかやる気がわかなかったのですが、今は懐かしい自分の唄ですが、楽しみながら爪弾きながら歌ったりしていますよ。
わ〜良いなぁ〜
なんだか ほんわかした
気持ちになれます。